手持ち無沙汰な時、温かいお茶のお供にでもして頂ければ、うれしいです。

アカリの話②

アカリの話①のつづき

 

yamatopiece.hatenablog.com

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アカリは息子を生んだ時、24歳だった。ソ連の大学は5年制だったので、入学が1年遅れたアカリは当時、卒業まで1年を残す学生だった。本当は息子が生まれて1年は育児に専念しようと思っていた。でも、お母さんが「〇〇の事は私に任せてあなたは大学を卒業しなさい。そして〇〇の将来のために早く仕事を見つけなさい。」、と言ってくれた時、それが一番いいと思った。両親にとっては初めての一緒に暮らす孫で、二人とも息子を溺愛していて、不慣れな自分よりお母さんに預けた方が息子も幸せだろうとさえ思った。

 

だから、息子が3カ月になった春に大学に戻った。卒業後はすぐに働き始めたから、社会人になってからも日中の世話はお母さんに任せていた。まだ若かったし、仕事の後に友人らと集まって遊ぶ事もあって夜預ける事もあったけれど、毎日ではないし、遅くなってもできるだけ外泊はしない様にしていた。アカリにしてみれば、許容範囲内の節度ある交友関係だと思っていた。でもある夜、帰宅すると、ベッドが変に乱れていた。それほど几帳面な方ではないけれど、朝起きるとある程度掛布団を伸ばしてベッドを覆っているはずなのに、明らかに変だった。だから、次の朝息子に「お母さんのベッドがクシャクシャだったけど、何でか知らない?」と聞くと、息子はヒソヒソと、おばあちゃんがしたと言った。何事かと思い母に尋ねると「〇〇が夜寝る前に、お前のベッドをあの小さい手で何度も撫でててきれいに整えてたのよ。だから、いつも遊んでばかりいてお前のベッドを整えた事もないお母さんのためにそんな事しなくてもいいって言ったのよ!」、と感情的になった。普段は優しい母親の本音が見えた言動にショックを受けた。それからは、友達と会う時にはできるだけ息子も一緒に連れだす様にした。出かける時にちょっとオメカシすると、息子は雑誌の表紙のモデルを指さして「ママみたいだ」と言ったりした。見かけにはコンプレックスがあって、自分が綺麗だと思った事はなかったけれど、息子の言葉には真実もあるような気がして嬉しかった。友達は皆息子に良くしてくれたし、息子もいい子だった。ただ、写真好きの友人が撮ってくれた息子の写真に笑顔はなかった。

 

それから何年かして、アカリは恋に落ちた。彼はサーカス団の団長をしていた人だった。頭が良くユーモアもあり、何より彼といると新鮮で楽しかった。そして30の入り口で2度目の結婚を果たした。当時司書をしていたけれど、結婚を機にサーカスで熊の調教師を始めた。家では小さい頃から猫を飼っていて動物は好きだったし、子熊は可愛かった。当時小学校低学年だった息子はサーカス団の生活になかなか馴染めず、サーカス小屋には入りたがらなかった。でも、一見獰猛そうな息子の丈程もある大型犬の番犬ミランとはすぐに仲良くなり、どこへ行くにも一緒だった。ミランの事は、息子が大きくなってからも度々話題に上がった。でも息子の中ではミランが自分を猛獣から守ってくれた話になっていた。息子を猛獣檻には近づる事はなかったから、きっと夢が現実とゴッチャになっていたのだと思うが、知らずに怖い思いをさせていたかと思うとちょっと心が痛んだ。添い遂げるつもりでしたこの結婚も長くは続かなかった。息子と実家に戻ると、両親は喜んだ。恋は素敵だけど、もう結婚に夢はなかった。

 

次に恋をした相手は既婚者だった。奥さんとはもう恋仲ではないと言っていたが、それはどうでも良かった。アカリはその人と愛を初めて知った。そして妊娠が発覚した。相手よりもまず母親に相談した。母親は、「私ももう60を越したし、もうこれから赤ちゃんの世話なんてできないよ。私を頼りにしているなら、生むのは止した方がいい。」、と辛そうに、でも容赦なく言った。本当に愛する人の子供だったし、今回諦めると次回は無いと知っていたから真剣に悩んだけれど、結婚する予定もない中、親にも頼れないとなると現実的に育てるのは無理だった。涙を呑んで産まない決断をした。彼は離婚するから産んで欲しいと言ったが、その言葉を信じられる程アカリは純ではなかった。悲嘆にくれる彼の姿に耐え切れず、別れを決意した。ほどなくして、彼が病に倒れた。奥さんは彼を捨てた。アカリは駆けつけて彼を看病し、その最期を看取った。自分が許せなかった。

 

絶望の淵にあるさなか、母親が倒れた。36才の年だった。

 

アカリは救いを求めクリスチャンになった。ソ連では教会も監視下におかれていたから、誰にも知らせず全て内密に行った。そんな母親と時々教会を訪れていた息子もクリスチャンになると言った。アカリは、まだ12歳だった息子に「大人になってから決めた方がいい」と諭したけれど、息子は頑として譲らず神父さんに直談判して決めてしまった。でもそれで、母子で心を合わせて祈る事ができるようになり心強さを感じた。

 

続く――