手持ち無沙汰な時、温かいお茶のお供にでもして頂ければ、うれしいです。

アカリの話①


彼女の名前はアカリ。

スターリンによる恐怖政治が敷かれていた1937年10月にレニングラードに生まれた。タタール人の母とユダヤ系ロシア人の父を持ち、7つ上にシシという名の兄がいた。そして、彼女が3歳の時、ドイツ軍がソ連に侵攻し、レニングラードは包囲された。そこからヒトラーによる飢餓計画の下、生活に必要な水道、ガス、電気施設だけでなく食糧庫なども破壊される中、1944年1月に開放されるまで市民は2年以上もの間抵抗し続けた。多くの人々が餓死する中、アカリのお父さんは配給された少量のパンをきっちり4等分して、それらをまた注意深く3食分に分けた。お皿に乗せられた一切れの薄いパン。アカリはいつもお腹が空いていて、出されるなり慌てて口に入れるけど、驚くほどあっと言う間にパンは消えて無くなるのにお腹はちっとも満たされなくって、ゆっくり食べている母親のパンを見られずにはいられなかった。お父さんはそんなアカリを見て、「アカリ、お母さんを見ちゃいけない。お母さんはお前が大好きで、そんなに見ると、お母さんのパンをお前にあげたくなるだろう。でも、そしたらお母さんはお腹が空いて明日死んでしまうかもしれない。死んでしまうとお母さんに会えなくなる。そんなの嫌だろう。」、と優しく言った。それからアカリは食べ終わったら、皆が食べ終わるまで俯いて待つ様になった。いい子にしていると、食事の後、父は決まって大きな本棚の前に立ち、時間を掛けてその日のための一冊選んで、アカリを隣に座らせると感情豊かに読んでくれた。お話を聞いている時だけはお腹が空いたのを忘れた。

そうやって、アカリの家族は一日、一日と過ごし、奇跡的に4人揃って包囲戦を生き抜いた。家族全員が生き残った例は皆無に等しかったから、近所の人は皆口を揃えて何か悪事を働いて優遇されていたのだろうと陰口をたたいた。戦争が終わって、ようやくある程度食べ物が手に入る様になってからも、アカリの食は細いままであまり食べられず、いつになっても小さく痩せっぽちのままだった。ある日、心配した叔父がやってきて、家族と一緒に食卓についた。少し食べて、もうお腹が一杯と言うアカリを見て、叔父さんはポケットからキレイな色の紙に包まれた飴玉を一つ取り出した。「アカリはいい子だから、今日は特別にお土産を持ってきたんだよ。でも、デザートは食後って決まってるんだ。お皿のご飯、ちゃんと食べられるかな?」デザートと聞いて、甘い味なんて覚えていないはずの口の中にジュワっと唾が溢れた。アカリはどうしてもそれが欲しくて、その日初めて、出された食事を完食した。それを見て、家族は手を叩いて喜び、アカリは家族の笑顔と飴玉の甘さを一緒におぼえて、嬉しくなった。叔父さんも嬉しそうに「偉いな、アカリは!今度来る時また持ってきてあげようね。」、と約束したけれど、次の飴玉はなかなか現れなかった。それでも、その日からアカリは出された物はちゃんと頑張って食べるようになった。

そうして、ようやく平和な日々が戻ってきたと安心した矢先、家族を優しく強く守ってくれていた父が突然逮捕されて、十年の強制労働の刑に処せられてシベリアの収容所に送られてしまった。褒美目当てに誰かがスパイだと密告したらしかった。長年に渡る父親の収監中、アカリと母親と兄の三人は先の見えない苦しい暮らしを余儀なくされた。そんな中でも兄のシシはアルバイトで家計を支えながら懸命に勉学に励み医学部に進学した。ソ連時代は学費が無料だったから努力さえすれば貧富に関わらず大学の門は誰にでも開かれていた。そして、彼女が高校生の頃には医者になって一家の頼もしい大黒柱となった。同じ頃、スターリンが急死して、その後多くの囚人が解放された時に刑期満了までまだ数年あった父が帰ってきた。父はアカリに収監中の話はしなかったが、唯一笑顔で見せてくれたのはシベリアで知り合った日本人抑留者から貰ったという二つの小さな置物だった。日本という国がある事は知っていたが、それまで特別な感情はなかった。でもその置物を見て、父親の笑顔を見て、寒いシベリアの牢屋を想像し、初めて日本に住む人の事を思った。興味が湧いて日本の小説の翻訳版を探して読むようになった。父が帰ってきた事で少し広めのアパートが支給され、兄の助けもあってようやく暮らしが少し上向いた。

彼女は高校を卒業し、浪人するも、1年後には名門レニングラード大学に入学、国文科を専攻し修士号を取得した。学生時代に初めて交際した人と結婚したけれど、すぐに失敗に気付いた。その人との離婚手続き中に出会った人との間に息子を授かったが、離婚がまだ成立していなかったため、未婚のまま母となった。母が育児を全面サポートしてくれたおかげで、休学せずに大学は無事卒業できたが、息子の父親とは結婚せず仕舞いで別れた。なぜって、理由は星の数ほどあったけど、取り返しのつかない最期の一滴が落ちたのは、まだ乳児だった息子と夏休みにダーチャに滞在していたあの日だった。数日前から来る約束をしていた彼が現れた。見ると手に見慣れない真新しいカバンを下げていた。聞くと、「いいだろう!買ったんだ。」と嬉しそうにお披露目した。値段を聞くと、それほど高価でもないが、あればひと夏のダーチャでの食費位は賄える程度の価格だった。お金はどうしたのかと問いただすと、何と「君のお母さんに貰ったんだ。」と言ってのけた。それは母から、アカリと息子のために、と言付けられたお金だった。

 

話を聞いて男運のなさに同情する友達にアカリは言った。

「お父さんもお母さんもとってもいい親だったし、感謝してもしきれないワ。でもうちの親、一つだけ間違ったの。女の子は「かわいいね。」って育てないと、自分に自信がない大人になっちゃうのよ。で、年ごろになって、「きれいだよ」なんて褒めてくれる男が出てくると、そういう言葉に慣れてないでしょ。舞い上がっちゃって相手を見極める冷静さを失うの。で、すぐに騙されちゃうってわけ。でも、これで私も学んだから、心配しないで!あなたも娘ができたら、大事な事だからちゃんと覚えておいてよね。」

 

ー続く