手持ち無沙汰な時、温かいお茶のお供にでもして頂ければ、うれしいです。

50代のシニアクラブデビュー

50代もそろそろ新入りの域を出て板についてきた。

娘が無事高校を卒業し、進学が決まった今年の夏前、秋に娘が巣立ち、自由時間が増えると出不精に拍車がかかり運動不足となり老化が加速するのでは、とちょっと心配になった。それで、定期的に外へ出かける予定があったら少しはましか、と思い、わが村のシニア教室へのボランティア募集に立候補していた。

 

コロナ禍前までの数年は日本語教室を3つ4つ担当していたので、家にはその時に使っていた折り紙やら筆ペンやらが沢山あって、また教える事があったとしても、ちょっと捌ききれない量があるので、お年寄りの方々と一緒に何か簡単なアクティビティを楽しめれば、と思った次第だ。それに、時間に余裕があって人生経験も豊富なお年寄りなら私の下手なフランス語にも寛容で、きっと私のフランス語上達への道への大きな壁となっている「ネーティブとの会話練習不足」の解決にもなるかもしれないし。

 

蓋を開けると、娘はフランスで進学する事を決め、パリまで通学する娘のため早起きする毎日は以前と変わらず、なんなら夜更けのお迎えに加えて週末も出かけるので、私の外出頻度は増えている感はあるが、新しい事を始めるにはいい機会だと自分に言い聞かせていた。

 

そして10月半ば、記念すべき第一回目のミーティングが開かれた。

ボランティアで集まる人は、てっきりちょっと若めの世代がほとんどでは、と思っていたが、集まっていたのは私ともう一人以外はみんな60代後半から70代後半のシニア女性だった。しかも、私以外のシニア世代でない女性は教室の運営側の方で、実はシニアのためのシニアによる活動グループという趣旨だったようで、まぁ、年齢的に近くない事もないけれど、まだシニアの域に達していない私はちょっと浮いた状態だった。

それでも、集まった15人程の中には、日本で働いている息子さんがいる方や、日本で就職を目指す姪っ子ちゃんがいる方、日本のアニメが大好きなお孫さんがいる方など、日本に親近感を抱いている方も多く、皆さんとても好意的。

それに「オリガ~ミ」はフランスでも子供からお年寄りまで誰でも楽しめるとあって人気のアクティビティ。場違いかな、と一瞬不安が過ぎったけれど、以前作った物を持参して披露すると、歓声が上がった。そして参加者全員がやりたいと手を挙げて、満場一致で「折り紙」は採用となった。隔週で2時間程集まるのだが、数名のボランティアが持ち回りで時間内でできる事を計画する事になった。そして私の折り紙はお正月明け。皆が楽しんで作れる可愛い物を考えようと思う。

フランス語の方は、と言えば、現在の私のフランス語能力では、1対1の会話は何とかできるものの、大勢の間でワイワイ交わされる会話は要点を掴むのに必死で、反応する余裕がないな、という事が確認できた。これを機会に聴解力も多少改善されて、これからの半年ほどで、もう少し自由に会話を楽しめるようになるように頑張りたい。

 

この村に越してきて12年。初のコミュニティ活動参加となるが、さぁ、50代日本人、果たしてフランス人シニアグループにうまく溶け込めるのか!?

お花の寄せ植えが花壇を可愛く彩るように、小さな村での異文化交流を楽しもう。

 

声を上げる

日本でも報道されているのでご存知の方もいらっしゃると思うが、今フランスでは高校生が学校環境と先生の待遇の改善を求めて大きな抗議活動を行っている。

 

娘が今年卒業した公立高校は、比較的に裕福な人が多く住む地域にあった。加えて近隣には留学生が多く通うビジネス系の国際大学があり、国際課もあった娘の高校はその大学から資金援助を受けているという事だった。

それでも、校内には娘が入学した時からずっと故障中のトイレがあったし、科学の先生が病欠すると代わりの先生が見つからず、理系コースにも関わらず丸々1年物理と化学のクラスがないというクラスまであった。冬になると効きの悪い暖房のせいで生徒はコートを脱げなくて、教室の半数は常に体調不良だった。ようやく暖かくなっても年々早まる熱波の到来に今年の5~6月は学校がしばしば休校になり、受験生は卒業試験の日程の変更や試験時間の前倒しに振り回され、現場の先生方も対応できず、娘に至っては気温が40度近くに迫る中、口頭試験の試験会場で混乱したスタッフの手違いで間違った教室に案内され2時間以上待たされるなどした。だから、問題があるのは重々承知していた。

ただ、他の学校がどういう状況にあるのかは知る由もなかった。

今回のデモのきっかけはパリ近郊の高校での先生と生徒による抗議活動が数日で行政から環境改善の約束を取り付けた事だった。短期間の抗議活動が成功したというニュースはSNSで一気に広がり、不満を抱えていた各地の中高生が我も我もと抗議活動を始めた。驚いたのはSNSに投稿された学校の惨状である。日本では考えられない机や椅子の不足などはまだまだ序の口で、天井や壁からの水漏れ、水浸しのトイレ、崩落した天井板、ネズミやその他の害虫が校舎内を走る姿…。

 

中高生が始めた抗議活動に、よくその状況を知り賛同する大学生も参加し始めた。

娘が通い始めたばかりの大学でも連日門がバリケードされ先生も学生もキャンパスに入れない状態が続いている。

 

政府が目下議会を通そうとしている予算案では、教育費が大幅に削られるという。フランスは、年々国の負債が膨れ上がり、信用度が下がり、借り入れの際の利子が高くなっており、何とか歳出をコントロールしようと苦心しているが、医療も福祉も軍事も削り辛い費用ばかりなのが現状なのだ。でも、これ以上教育環境が悪化するのは生徒にとっても国の将来にとっても決していい事ではないのは明白だ。

 

そして今若者たちが声を上げている。

これら「若者」の大多数はまだ未成年で、社会に守られるべき存在だ。しかし、子供までもが声を上げなければならない状況に置かれているというやるせなさがある。フランスは民衆が声を上げる事で権利を勝ち取って来た歴史がある。ただ、裏を返せば、声を上げなければ民衆はなおざりにされる、という事でもある。そして、デモが始まると、憂さ晴らしをしたい人が待ってましたとばかりに便乗して悪さをするので、警察や機動隊と衝突するはめになる。そして先週、暴力沙汰とは無関係の中高生が巻き込まれ大けがをして非難の声が高まった。子供が怪我をしては大変、と、先生や親が子供達を守る盾となり、デモは膨れ上がり収拾がつかなくなっている。

 

政治の舵取りが難易度を増しているのは、どこの国も同じだと思うが、最低限、これだけは、という優先順位をつけて一つづつ解決していかないと、今に国全体がSNSに投稿されている学校の様になってしまうのでは、と不安になる。

 

国の事を、守らなければならない自分の家族の様に思えれば、政治も少しは変わるのだろうか。お父さん、お母さん、お子さんが泣いてますけど、大丈夫ですか?

The New Yorkerより

必要な優しさ

子供の頃、親同士が仲良くて週末の度に会っていた少し年上の女の子がいた。

とは言え、家が近所とか、学校が同じとかではなかったので、そこまで親しかったわけではなく、会えば話す、ぐらいの仲だった。

大人になって再会したのは彼女が結婚して第一子が生まれて間もない頃だった。嫁いだ先がたまたま妹の通っていた大学の近くで、よくおかずを差し入れして貰っているとかで、妹に会いに行ったついでにお礼も兼ねて会いに行った。初めての赤ちゃんのお世話は大変そうで、それに加えてちょっと気難しい旦那さんの扱い方も難儀している、みたいな話しを聞き、少しやつれた感じなのが気になった。でも、海外暮らしで携帯など便利な連絡手段も無かった時代だったのでまた自然と疎遠になった。ただ、その後も二人のお子さんに恵まれて、元気に過ごしている様子は実家に送られてくる年賀状で知ってはいた。きっと彼女も親伝いに私の破天荒ぶりは聞いていたと思う。

 

そして一昨年、兄の葬儀に駆け付けてくれた時に、二十年以上振りに再会した。私の顔を見るなり、駆け寄って来てくれ、大粒の涙をこぼしてくれた。兄とはもっともっと長く会っていなかっただろうに、きっと私や兄弟たち、そして両親の事を思っての事だろうか、とにかく彼女の留まる事なくあふれ出る涙を見て、彼女の優しさと情の深さに本当に慰められた。彼女も若い頃、お兄さんを事故で亡くしているので、その時の事も重なったのかもしれない。とにかく、家族以外で、あんなに兄の死を悼んでくれた人は彼女一人だったと思う。

 

そんな彼女に乳がんが見つかった、と知らせが入った。

手術はできる状態ではない、と聞いて、かなり進んでいるのでは、と心配になった。姉づてに連絡先を教えてもらい、ラインで繋がる事ができてからは、週一で連絡するようになった。彼女の開け放しの優しさを思い、彼女の身体を思い、面識のない彼女の家族の事を思い、回復を祈りつつ、週一で送るメッセージ。でも彼女からの返信を開けるのは怖かった。悪化してたらどうしよう、そればかりが恐ろしくて。

 

天には色々とプランがあって、こちらがどんなに願っても、そうそう融通をきかせてくれはしない。「お疲れ様。さぁ、帰ってらっしゃい。」と呼び戻されれば従うしかない。その事はもう主人の事でも兄の事でも学習済みだ。

 

でも、だから祈っても意味がないか、と言えば、そうでもない。遠い所に住んでいて、お見舞いにさえ行けない私にとっては、たった一つのできる事だ。一日一度でも、心を静めて彼女と彼女を必要とする人のために、「治療の効果出ますように、辛い症状が少しでも治まりますように、願わくば、癌細胞の勢いが削がれて、消えてなくなりますように。」と祈る。日々、もちろん子供達の事や日本の家族の健康の事も祈るわけだけど、そこに彼女の事が連なるようになってからは、離れていても彼女の事をどんどん身近に感じるようになっている感がある。祈りは、自分にとって大切な人や事を確認する作業なのかもしれない。そして大切な人がいる事を確認する作業は、幸福感に直結する。

 

7月半ば緊急入院の知らせがあった。8月上旬、化学療法の薬にアレルギー反応が出て、2回目途中で中止になり、放射線治療に移行すると連絡がきた。この辺りは、心配が加速して、ボンヤリすると彼女の事ばかりが気懸りだった。

そして9月初め、放射線治療が効いて、腫瘍が目に見えて小さくなり始めた、と連絡がきた。それまでは高熱の日が続いていたけれど、久々に平熱が続いている、と。初めてのいい知らせに心からほっとして、祈りに感謝が加わった。

9月下旬、あれから熱が上がる事はなく、食欲も戻り、病院の中庭を自分の足で一周できた、との返信があった。彼女のメッセージにはいつも私と私の家族への心遣いの言葉ばかりで、こちらから聞く事以外体調の事は殆どおしえてくれなかったので、それまでは歩く事もままならなかった事を知った。彼女は、正直ここまで回復するとは夢にも思わなかった、と言った。2カ月以上になる入院生活。ようやく体調が上向きになってきた今、本人はそろそろ家に帰りたいと思っているようだ。

 

どうか、彼女の癌細胞がこのままどんどん弱体化して消滅してしまいますように。

体力が戻り、愛する家族のもとへと帰り、また穏やかな生活を送れますように。

そして、来夏は笑って再会できますように。

 

神様、あのとめどない涙の蛇口を持つ彼女の類稀なる人を案じる優しさは、まだまだこの世に必要です。彼女がいれば、彼女の家族や友達以外にも、辛い時に救われる人がまだまだ沢山いるはずです。とすると、彼女は、神様の最高の助手って事ですよね。

 

今日も皆さまの健康と穏やかな生活が守られますように。

今年最後の蕾が開花

 

エモーショナルローラーコースター

娘が通うフランスの大学講義が始まった。

通学に時間がかかるので、早朝暗い内に出かけて帰りは夜になってしまうという難点はあるものの、クラスメートとの交流もできている様で、比較的いい滑り出しだと思う。

 

しかし実は彼女の心はまだ揺れている。

 

yamatopiece.hatenablog.com

 

何故って、アイルランドの大学が合格通知を小出しにしてくるから。

先日も新たに合格通知が舞い込んだ。これは最初の発表時に合格した大学の別の学部からだ。前に合格した学部は、悩んだ末、結局本当に勉強したい事とは違ったのでやめにした。でも今回受かった学部は、第三志望に挙げていたところで、興味とは合致している。ただ、こちらで通い始めた大学を辞めてまで行くか、となると、迷うらしい。複雑である。

 

アイルランドも来週から講義が始まる。最初の週はオリエンテーション的な意味合いもあるだろうから、本格的に始まるのは再来週か…。行くとなると、急いで住む場所を決めて荷物を纏めて、遅くとも今月中には発たなければいけない。でも決断しなければ何も始められない。

 

本人的には、第一志望の大学に合格できれば迷わず行く、と言っているので、裏を返せば、このまま他の合格通知が届かなければフランスに残る、という事なのか?本人にさえ分からない彼女の本心を読み解くのは難しい。とにかく、残すはあと2回の発表。最終通知は今月末なので、あと2週間弱はハラハラドキドキが続く事になる。高血圧気味のデリケートな50代。さぁ、このエモーショナルローラーコースターに耐えられるのか?

 

本人には言わないけれど、大学に通い始めた娘のために、朝食を準備したり、学食はいつも混んでいて並ぶ暇がないと言うのでお弁当も作り始めたりして、母親の私としては、実のところ、娘の新生活を近くで応援できる喜びがあって、やっぱり離れてしまうのは寂しい。

 

それでも、「このままフランスに残って。」とは言わない。今私がすべきことは、娘の悩みを聞き、彼女にとって最善の選択ができるようにアドバイスするのみ。

主人が娘の大学のために、と準備してくれていた学費がある。もちろん生活費のサポートは必要だけれど、それは何とかする。娘の夢を出来る限り応援したい、という思いは主人も私も同じ。どの道に進んでも、娘のチアリーダーが私と主人である事に変わりはない。

 

それに主人は、どこに居ても見守る事のできる場所にいるので、きっと大丈夫。

転んじゃうのは止められなくても、きっと大怪我しないように守ってはくれる。

それがルール違反でも。

だって、彼は、自分の親バカさ加減が、いつもカッコイイと思っていたから。

これからも頼りにしてます、パパ。

 

Paul Klee (Wikimedia Commonsより)

 

プロに任せたい

今夏の立て続けに押し寄せた熱波のせいで、庭がカピカピ薄茶色になった。

それでも暑さと水不足に強い草もあるようで、ある種の草だけは周りの枯れていく草花を横目にここぞとばかりに丈を伸ばしていた。丈の高いのは腰丈にもなった。

そして、この夏、そんな徐々に荒れていく庭を前に、私は手を出せずにいた。

 

6月上旬に一度自分で草刈りをしてから3カ月、色々忙しかった、というのもある。

娘の高校卒業試験に卒業式、アイルランドへの小旅行、姪っ子ちゃんとの夏休み…。

それに、とにかく暑かった。そんなこんなで庭仕事へのモチベーションが下がったまま迎えた8月下旬、甘えかもしれないが、やる気が出るのを待っていては手遅れになると思い、プロの手で一度リセットしてもらおうと、庭師さんに連絡した。

 

実は、この庭師さん、今年の春先に伸び放題だった庭木の剪定を頼んだのだが、自然愛に溢れていて、仕事も早く丁寧で、しかもお値段も良心的で、私の中で一気に「頼れるプロ」に格上げされていた方。素人の私が訳も分からず心安めでここそこにハサミを入れたり、草刈りをしたりするのとは、仕上がりも違えば、庭のスッキリ度にも格段の差がでる。

 

この庭師さんと出会う前は、ヘタでも自分で何とかできる事を誰かにお金を払ってして貰う事に罪悪感があって、「もったいない、もったいない。」と思っていた。それでも木の剪定などは自分ではどうにもならず、やむを得ず頼んだ事は何度もあったけれど、この夫婦の仕事を見て、一言で「庭師」と言っても、やはり人によって仕事の質にも向き合い方にも歴然とした差がある事を知った。そして、初めて「あ~、これこそが役割分担のあるべき姿。」と納得がいった。

 

私が、荒れた庭を前にアレコレと心配事を相談すると、「それは今剪定してもまた伸びるので、成長が止まる冬にしましょう。」とか「これは鳥が巣を作りやすい枝ぶりなので、鳥のためにもここは残しましょう。」とか、「この木は枯れている様に見えるかもしれませんが、ほら、この枝のしなり具合を見ても中は大丈夫そうなので、来春まで様子を見ましょう。」とか、ニコニコ顔で植物や鳥のトリビアなども挟みながら穏やかな口調で、心配を煽るような事は一切口にせず安心させてくれる。今までお願いした庭師の方々は、一つ頼むと、これも、あれも、と問題点を指摘して、作業規模を大きくしがちだったが、この庭師さんはマイナス型で、必要ない事は必要ないと言ってくれるのがいい。自然が好きで、その好きを仕事にしているのが、温かくジンワリと伝わってくる。好感しかない。

 

この家に住み始めて12年、素人の気休めの手入れ位では庭を綺麗に保つ事などできず、年々荒れていった。初めは季節毎に咲き乱れていた多年草の草花も、今では段々少なくなって、庭の彩りも薄れていく。ハーブなどの木も元気がなくなって所々枯れた枝が目立ち始めている。おかげで、「庭=悪あがきの場」となってしまい、悩みの種でしかなかった。でも、この庭師のご夫婦と出会って、庭の大きな作業をプロに任せれば、私は丁寧にハーブの手入れをしたり、新しい花を植えたり、ちょっと野菜を植えたりできるかもしれない、と思えるようになった。

 

せっかくのお庭。これからは苦行の場ではなく、楽しんでいくためにも、私は私の仕事に精を出して、庭作業費を定期的に捻出できるようにしたい、と思う次第だ。さぁ、がんばろう。

言わずともちゃんと残されていたシクラメン

「好き」で彩れ、人生を!

娘が人生初の岐路に立たされている。

目の前には、二つに分かれる道。

 

娘の「なかなか決められない」は、小さい頃からの性格で、洋服も、眼鏡も、アイスも、お菓子も、とにかく目の前にお気に入りの物が並ぶと選べなくてフリーズしてしまう。そうなると、家族や友達に色々聞いて、迷いつつ、人の倍の時間をかけて選択肢を絞る事になる。娘と一緒に買い物に行くと、私は待つ時間、手持無沙汰で本当に退屈してしまい、痺れをらして、最終的には予定より選び切れなかった2点、3点と多く買う羽目になる。まぁ、これが作戦なのかもしれないが…。

 

ただ今回迫られている選択は、今後4年間を決める進路だ。

彼女は大いに悩んでいる。「ここでもし選択を誤ったら…」と思ったら怖いのだと思う。

 

しかし娘よ、どの道を選んでもいい事もあれば良くない事もあるのが人生。

一見理想的に見える道だって、進んでみれば予期せぬ事に見舞われる事もあれば、逆に、それほど魅力的に見えない道だって、進んでみれば案外楽しい事が起こったりもする。私からすれば、どちらの道も、それなりに大変そうではあるけれど、冒険の価値はあると思うので、娘の決断を尊重するつもり。

 

しかし、ここ数日、頭を抱えて、眉間にしわを寄せ、ウンウン悩んでいる様子を見ていると、全然楽しい未来が見えていない様で心配ではある。もう少しワクワク気分を盛り上げてあげたくて、色々アドバイスをするけれど、返事は決まって「卒業後の将来の事を考えて悩んでいるの。大学は楽しければいいわけじゃない!」

 

私は高校時代勉強しなかったので、卒業後の進路は一つしかなかった。でもその一本の道を頑張って進んだら、もちろん両親の理解とサポートあっての事だけれど、運よくその先の道は次第に広くなっていった。そして将来の事はその時々で考えても間に合っていた。だけど、ここフランスでは子供達は中学生の時に興味のある分野での職業体験が必須だ。高校に進学すると早々に将来を見据えた選択を迫られる。そして、15~16才で決めた人生プランを大軸に、その都度微調整を加えながら進路を決めていく。

 

英語圏で学ぶ事は彼女の夢だ。でも、合格できた学部は、その人生プランから逸れてしまいそう、と心配なのだ。

フランスに残れば、好きな事を勉強できて、人生プラン的に見れば、順当な進路だ。でも、もちろん勉強は全てフランス語。

フランスに越して来てからというもの、ずっとフランス語がコンプレックスだった。英語セクションの成績は良かったのに、フランス語セクションの方は、英語よりずっと時間を掛けて懸命に勉強しているのに思う様な結果に繋がらない事が多かった。だから娘にとって、勉強の面でのフランス語は重い足枷だったのだと思う。

 

13才で父親を亡くし、この先またどんな不幸が降って来るかと身構える気持ちは分かる。兄はなぜか車椅子で、世の不条理さを目の当たりにしているのも分かる。だから石橋叩いて、できるだけ安全な道を進みたいんだよね。でもね、だからこそ、母は、貴女に、培ったその優しさを胸に、これからの人生をどん欲に楽しんで欲しい。

 

どちらの進路を選んでも、色々あるとは思う。でも、やはり最終的には「好き」な事を学び、「好き」な物に触れ、「好き」な人やモノやコトをどんどん増やす事が、大学生活の醍醐味。生きていくには不安と心配はつきものだけど、それだけに支配されて臆病になると、その先の人生を楽しくしてくれる「新しい好き」との出会いのチャンスを逃してしまう。

 

娘よ、希望と共に、勇気を出して、飛べ!

今は雨雲しか見えないようでも、あの向こうには必ず高く澄んだ青空が広がっているから。大丈夫、母はあなたの上昇気流になるよ。

 

"The way I see it, if you want the rainbow, you gotta put up with the rain." 

 思うにね、もし虹が見たかったら、雨を我慢しなくちゃいけないって事なのよ。

by Dolly Parton

母 by 愛娘(丸さ加減は正直ですが、随分可愛く描いてくれて愛を感じます。)

 

マナーは守って損はなし

夏、と言えば肝試し。

小学校の頃、夏休みには決まって町内会主催の肝試し大会が開かれた。見慣れた公園が会場なのに、あまり足を踏み入れない小高い丘の一角にある戦死者の慰霊碑までの細い道を真っ暗闇の中ユラユラ弱く光る提灯一つだけを頼りに歩かなくてはならないという事だけでも完全な異世界体験だった。あの頃はまだ、真夏と言っても夜になると気温が少し下がり、涼しい夜風の中「背筋のゾクッ」も体験できて、今思うとダブルで涼を取れて良かったと思う。

 

今のフランスと同様、あの頃はエアコンなんてなかったけど、みんな汗かきながらも、夏を楽しめてたよなぁ、と思い、あの頃と現在の気温差が気になって調べてみると、私が小学生の頃の8月の平均気温は大体26.5度で、連日熱中症アラートが出ていた去年は29.6度。更に、最高平均気温を見るとあの頃は30度前後で去年は34.4度。この差は流石に大きいと思う。ちなみに今年の8月は現時点で一日平均26.7度、最高平均は31.6度だそう。私が小学生の頃とそれほど変わらない気温です。今年は帰れてないので分かりませんが、この夏はちょっと過ごし易かったのでしょうか? 

気象庁|過去の気象データ検索

 

おっと、脱線。

そして、あれ以来、肝試し的なものとは距離を置いてきた。

が、思えば、学生時代に一度、意図せずにそうゆう状況に置かれた事はあった。

大学2年次だったか、友人と5人で、あるビルのペントハウスに住んでいた時期があった。家具や水回りなど少し古めかしい感じはあったけれど、場所的にも便利で5人でシェアしても十分な広さがあった割りには家賃がお手頃で有難かった。住み始めて暫くすると、居間の壁にかけられていた鏡に時々何かが映り込む瞬間があって、振り向くと誰もいない、という事があって、不思議に思って話すと、タイ人のルームメイトで、自称霊感強めの子が、「言うつもりはなかったけど、見えたんなら…」、と、その部屋には幼い男の子の霊がいる事を教えられた。窓が少ししか開かないようになっているのはそのせいだと。こちらの表情を見て心配になったのか、「でも、あれは悪さをするような霊じゃないから大丈夫。」、と急いで付け足してはくれたけれど、その後は流石にちょっと居心地が悪くなり、皆で早々と引っ越しを決めた。これを最後に、大人になってからは、怪談との縁はなかった。

 

しかし、この夏。娘を介して久々に怖い話を聞いたので、皆さまにも涼のお裾分け。

 

娘が、進学を機に離れ離れになってしまう仲良しのお友達から、久しぶりに曾祖父母のお家を訪ねるから一緒に行こう、と誘われて、1週間ほど南仏へ旅した。

お喋り好きなお友達の伯母さんが駅まで迎えに来てくれて、お世話になるお宅に到着してビックリ。聞いたところによると、門をくぐると、それはそれは広大な敷地に3軒の立派なお家が少し距離を置いて建っていたとの事。一軒は曽祖父母の住む家。一軒は伯母さんの住む家。そして、もう一軒は一番古く、曽祖母が小さい頃に住んでいた家で、今はゲストハウスとして使われているお家。案内されたのは、もちろんゲストハウス。お友達と娘のために2階の広い部屋が用意されていたそう。ただ、そのお家はちょっと複雑な構造で、2階の洗面とシャワーは隣の部屋の奥にあり、隣の部屋を通らずに行こうと思うと、一度1階に降りて、別の階段から使って上がる必要があったらしい。

 

そして、初日に部屋に案内された時に伯母さんにこう言われたという。

「トイレとシャワーは隣のお部屋の奥ね。でも、そっちのお部屋を通るときには、失礼にならないようにちゃんと『お邪魔します』、って言ってちょうだいね。」

 

隣の部屋は多少の家具はあるものの、誰も使っている様子がない。なんならゲストハウスには普段誰も住んでいない。お友達もこの家に泊まった記憶がなく、事情が分からず、「誰に??」となったが、その時は聞きそびれてしまった。

 

翌日、お友達の一回りぐらい年上の従兄姉が合流した。お友達も娘も、伯母さんの言った事が気になっていたので、

「昨日ね、伯母さんが誰もいない部屋に挨拶しなさい、って言ってたんだけど…」と話したところ、いとこの兄さんと姉さんが二人とも口を揃えて、

「あ~、曾曾大叔父さんの部屋ね。最近は聞かないけど、昔はちょっとね~。」と、驚く様子もなく頷きあったという。

 

詳しく聞くと、何でも、その従姉がまだ小学生だった頃、流行っていた、フランス版のこっくりさんの様な遊びを友達とゲストハウスでしていて、曾曾大叔父さんの霊を呼び寄せてしまったらしいと言うのだ!後から聞いたところ、曾曾大叔父さんは「必ず帰って来るから。」と言い残して第一次大戦で戦線に送られたけれど、戦死してしまい、残念ながら遺体も見つからないままだったのだそう。

 

そして、その日を境に、元々彼の部屋だったその二階の部屋のドアが突然音を立てて開いたり閉まったり、電気やテレビが突然ついたり消えたり、と怪奇現象が起きるようになったという。夏休みになると大勢の親戚が集まるのが習慣だったが、ゲストハウスに泊まる人は皆、気味悪がって大変だったという。従兄妹も、運悪くその家をあてがわれると、怖くて眠れず、仕方なく庭にテントを張って外で寝起きしていたという話し。

 

それを聞いてしまった二人は、前日の夜は何事もなかったけれど、曾曾大叔父さんの機嫌を間違っても損ねないよう、伯母さんの言いつけをきちんと守って、トイレに行くときはいつも、「こんにちは。失礼しま~す。」と言ってその部屋を通っていたという。

ヨーロッパには歴史のある建物が多いので、こういう話も、さもありなん感があってちょっと怖い。

何も見えたり聞こえたりしない部類の人間にとっては、ファンタジーな話ですが、やはり、あるんでしょうかね、そう言う事。

 

まぁ、まだまだ幼さの抜けないカワイイお友達と娘が皆に口裏合わせられてからかわれただけ、という可能性もありますが、真相はどうであれ、つまるところ、誰に対してもマナーは守り、失礼なふるまいは控えた方が賢明という事ですね。はい。