手持ち無沙汰な時、温かいお茶のお供にでもして頂ければ、うれしいです。

魔女の一撃

魔女の一撃。

それはいつ放たれるか分からない。

ここ数年は少し違和感を感じる事はあっても、重症にはならなかったから油断していた。

 

あれは1週間ちょっと前の週末。スーパーで好物の羊乳チーズを物色していたその時だった。左の腰にピキーンときた。その瞬間は「やったか…?」位のもので、何度か深呼吸をすると、痛みは引き、押していたカートに体重をかければ歩く事も出来た。

 

…が、不運にもその日は一人で買い物していた。重たい水やミルクらがすでにカートに入っていた。重い物には取り外せるバーコードが付いているから、レジは何とか済ませられた。でも、その時にはもう腰がギリギリの気配。自分で荷物を車に積むのは完全にノーノ―なのは明白だった。

 

で、スーパーのおばさんに、

「あの~、どなたか車に荷物積むの手伝ってもらえる人いませんか?」、と聞いてみるも、パッと見、痛手を負っている様に見えなかったのだろう、不審そうな目で「そう言う人居ないのよね〜。」と軽く断られてしまった。

 

仕方がないので駐車場までカートを押し、細心の注意を払いソロソロと荷物を積み込んでいると、通りすがりのおじさんが「手伝うよ」と残りの水をヒョイヒョイと積んでくれ、こちらのお礼もほとんど聞かず「いいよ、いいよ」と軽く手を振ってカッコよく去って行ってしまった。後を追う事こそできなかったが、その優しさに助けられた。フランスではこうして老いも若きも躊躇せず軽く手を貸してくれるのが素晴らしいと思う。

 

そして奇跡的に家に帰り着いたはいいものの、左足に体重がかけられない状態だった。買ってきた物の片付けは娘に任せて早々に横になったが最後、痛くて身動きできなくなってしまった…。その日は痛み止めを飲み、娘の肩を借りて大騒ぎして一度だけトイレに行った以外寝たきり状態だった。

そして翌日は奇しくも私の誕生日。トイレとベッドの往復は杖をつき、念のため娘に付き添ってもらい出来る様になったけれど前途多難な様相。この日もトイレ以外は横になるだけだった。私的にはもう誕生日に大した思い入れはないけれど、可哀想に思ったのか、娘が有り合わせの材料でケーキを焼いて、ローソクまで立ててくれた。そしてベッドでバースデーソングを聞き、ローソクの火を消した。

 

そして、次の日、やっと寝室から台所までの距離を歩く事ができるようになった。しかし、2日振りに台所を見てびっくり。前日の娘の格闘の跡が生々しく残っていた。なぜか床にまで色々散乱していてパニック振りが想像できた。『頑張ってくれたのね。優しいな。かわいいな。』とは思ったが、料理は片付けまでして完了。娘には再度お礼を言いつつも、食洗器に汚れた食器を入れ、ゴミはゴミ箱へ、カウンターは拭き掃除する様にお願いした。そして食卓に行ってみて二度びっくり。自分の部屋に勉強机はあるけれど、食卓で宿題をする事が多い娘の教科書やらノートやらが2日間だけで山積みになっていたのに加え、おやつの袋や皿、コップまでもが全て放置…。

普段は「片づけてね」と声掛けはするものの、毎日本人たちにやってもらっているから、まさかたったの二日でこれだけ荒らす事ができて平気でいられるものなのか、と変に感心してしまった。

鬼の居ぬ間の何とやら。自主性って勝手に育つもんじゃないのね、と学びを得た。

 

あれから1週間余り、もう若くない身体だが、それでも徐々に回復し、今朝は自分で右足は靴下が履けた。そしてこうしてコンピュータの前に座りブログを書けている。

 

魔女の一撃は、もうこりごり。でも、良かった事もある。

この1週間で子供達の家事能力が急成長を遂げたのだ。

掃除はそれほどでもないが、簡単な食事の準備や片付け、洗濯、ゴミの分別、ゴミ出しなどなど、私を心配して率先して手伝ってくれたおかげで、一通りはできる様になった。分からない事があると、フェースタイムを使って遠隔で指示できたので大きな失敗もなかった。そして、子供達は家事の大変さと母が不死身でないという事を経験させてあげる事ができた。

 

大分痛みは治まってきたたけれど、あと数日は子供たちが学んだ事が身に着くように、「痛たたた。」を続けようと思う。

 

ネーデルランドの諺ーブリューゲル作(Wikipediaより)

腰痛には難しい動作であふれています。