心に突如として現れた深い淵。
初めはあまりに暗く底知れず、覗いてみる事さえ怖く目をそらしていた。
主人が逝って早半年。
一つの命が途絶えても、生きている私たちの時は止まらない。
ひときざみずつ、ひとひずつ、時はゆっくりとでも着実に過ぎていく。
時は一番の薬というけれど、元気だった頃の事を思い出したり、好きでよくしていた冗談話を思い返して、ようやく彼と過ごした幸せな時間に感謝できるようになってきた。
そして、私も子供たちも一度ずつ誕生日を迎えた。
子どもたちにとっては父親がいない初めての誕生日。
子どもの喜ぶ顔を見たくて、主人は私と相談して決めたプレゼント以外にいつも一つ余計にプレゼントを用意していた。
それを思ってか否か、先週の娘の誕生日には、息子が妹のためにと二つプレゼントを買っていた。妹が喜ぶのを嬉しそうに眺める息子に主人の面影が見え隠れ。
息子、19歳。娘、14歳。
これからも一日、一日、主人が残してくれた二人と一緒に過ごしていく。
主人が生きた証は他にも色々あるけれど、私にとって子供たちはやはり一番大切でこれから生きていく上の大きな支え。
この子たちの将来が幸せでありますように。
私の命がある限り、何とかその幸せの土台を築く手助けをしたい。
それにはやはり運も必要になってくると思う。
ただ、これについては、運の配分システムを理解するのに幾分有利な場所にいるに違いない主人が頑張ってくれると信じている。
天に力強い味方ができたと思うと、希望を失わず生きていけそうな気がする。
Le paradis n'est pas sur la terre, mais il y en a des morceaux. ―Jules Renard
地上に天国はないけれど、天国の欠片は落ちている。