手持ち無沙汰な時、温かいお茶のお供にでもして頂ければ、うれしいです。

今から

最近、すっかり大きくなった姪っ子ちゃんやら甥っ子ちゃんらが何やら一生懸命頑張っている。

 

老いを感じ始める中高年に差し掛かると、「人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、何事かをなすにはあまりにも短い」が現実味を増して、何事かをなす事だけが人生の価値だと思うと、残された時間では何もできるわけがない、と始める前から諦めモードに入り、新しい事に挑戦するのを躊躇してしまいがち。

 

それに引き換え心身ともに元気な10代、20代はやはり自然と夢をもち、頑張れば何だってできるという希望に満ちている。ああ、多少無理したって健康であれば朝起きて背伸びの一つもすれば「よしっ」と気合一つで一日を乗り越えていく、その気力に負けぬ若き力よ!私も学生の頃は、期末テスト週間を1日平均2-3時間の睡眠時間でガガガッと乗り越えて、終わった金曜の夜には清々しい気持ちで友人たちとお疲れ様会に出かけていたっけ。

 

輝く青春像を前にすると、その逆光で自分自身が暗くなり陰になってしまう。だけどその日の当たらない自分は見る角度が問題なのであって、逆に言えば自分がはっきり見える角度も必ずあるという事だ。振り返ってみると、自分の若い頃は、色々失敗をして恥ずかしい思いをする事も多々あった。今でもあの頃の悪夢を見る…。無理が利かなくなる年齢に差し掛かると、きっと誰もが若い頃に戻りたいと思うけれど、実は欲しいのは若い頃の健康体でありバイタリティであって、これまで培ってきた経験値や知識やスキルを手放したいか、と言われればほとんどの人はNOと答えるのではないかと思う。

 

とすれば、体力ベースの事でない限り、我々中高年は、人生素人の若者らと比べると、案外何をするにもヘッドスタートが切れるのかもしれない。大人には自分の事以外にも心配すべき事が多くある事は事実だけれど、そもそもいい大人は勝ち負けなどにはこだわらない(?)のだから、マイペースでやればいいだけの事。

 

去年逝ってしまった主人は大好きな趣味を仕事にできたラッキーな人だった。大好きな事だから、勤務時間などそっちのけで、朝となく晩となく時間の許す限り夢中で仕事をしていた。第三者はきっと彼のした事を見て、それなりの成果を残した人と判断すると思う。でも、私の知っている彼は、やりたい事が尽きる事無く湧き出てきて、いつも次を考えている人だった。だから、彼にとって「何かを成し遂げる」のは大して重要でなく、今取り組んでいる事と次に取り組みたい事が全てだった様に思う。

 

私たちが羨むような人生を送っている人。それはできるできないに関わらず、やりたい事を衝動に逆らわずやっている人達なのかもしれない。年齢に関わらず自由に楽しそうに生きている人。

 

私も、頑張る甥っ子姪っ子ちゃん達を精一杯応援しながら、自身もやりたい事を一生懸命やってみて、結果が伴わなかったとしても、楽しかったな、と思える時間を過ごしたいと思う。

 

そして、子供達もそういう人生が送れるよう、嫌いな事、苦手な事を無理強いせず、好きな事への才能を信じてあげれるような親でいたい。

まぁ、自分の子供の事になると、責任を感じて正直難しいんですけどね。

 

Everybody has talent, it's just a matter of moving around until you've discovered what it is.

誰にでも才能はある。問題はそれが何か分かるまで動き続けられるかどうかだ。

ーGeorge Lucas