手持ち無沙汰な時、温かいお茶のお供にでもして頂ければ、うれしいです。

ニックキテキ

先週、ようやく天気が持ち直してきたので庭仕事をした。

雷様の力を存分に借りて、これでもかと伸びた草を右へ左へエイエイと敵の様にむしった。文字通り汗水たらしながら、農作業や土木作業現場などでよくみる一輪車山盛り2杯分の除草して、随分すっきりした庭を見て、してやったり、と嬉しくなった。

 

yamatopiece.hatenablog.com

 

 

そして数日後、美容と健康のために続けている散歩へと出かけた。週に3日ほど散歩をして気が付いた事は、やはり私は運動がそんなに好きではないんだろうな、という事。きっと運動好きな人は散歩やジョギングする事自体を楽しめて、場所には拘りがないのではないかと想像する。しかし、私はと言えば、同じ場所を何度も歩くと見慣れた景色に飽きてきて、気が乗らなくなってしまうのだ。

その日も、いつもの場所には行きたくなかった。とは言っても、時間に制限があるので、あまり遠出はできない。だから、少しだけ車を走らせて、いつも歩いている遊歩道の側を流れる川を5キロほど下った場所へと向かった。

同じ川沿いだけれど、景色も違えば植物も違う。喜々として歩き始めるとここそこに初夏の花々。

「かわいいねぇ。きれいだねぇ」と声をかけながら写真をとりつつ歩を進めていくと、一際目を引く花があった。数打ちゃ当たる精神でいつもの様に乱写していると、ファインダー越しに小さいピンクの花が群生しているのが遠くの方に見えた。何の花だろうと近づくと、見覚えのある少し赤みを帯びた茎と葉っぱ…。これが何と昨日、「この雑草め、憎たらしい!」と思って引っこ抜いていた草花だった。

 

よく見ると、とても可愛らしい花。

こんな花を憎たらしいなんて、人間、追い詰められたら何をしでかすか分かったもんじゃないな、と実感しました…。かわいい花さえ「ニックキテキ」に見えるんだから。

 

皆さんも、気持ちに余裕がない時こそ、深呼吸をして心を落ち着かせて下さい。心配の素は、案外それ自体取るに足らない物かもしれません。

 

“Man is not worried by real problems so much as by his imagined anxieties about real problems”

人というものは、実際の問題について考える時についつい想像してしまいがちな実在しない不安がもとで心配になるのであって、本来の問題自体が心配なのではない。
― Epictetus(エピクテトス