この夏、4年ぶりの一時帰省が叶います!
父親は50代から手術などを複数回乗り越えて現在87歳。
母親はずっと元気で父を支えてきたけれど、去年から定期的な通院治療が必要になった80歳。
4年前は父に初期のがんが見つかって手術する事になった歳に急遽お見舞いを兼ねての帰国でした。帰国中に無事退院して元気な姿を見てからお別れしたけれど、あの時はまた元気で会えるだろうかと涙しました。
兄の家族が隣で暮らしているし、妹もすぐそばにいる。
でも、遠くに暮らしていると、やはり心配だし恋しい。
兄のおかげで、父とはラインでやり取りしていて、週に1,2回は花日記の交換をしている。母は花が好きで玄関先でも箱庭でも季節毎に咲く花々を何種類も育てている。
母の花はどれも本当に元気で毎年次々と色鮮やかに咲き誇る。
私はと言えば花は好きだけれど、家に迎えるとなぜかあっという間に枯らしてしまうのが嫌だった。最高の状態でもらってから、みるみる内に萎れていく花を見るのは、どこか自分のせいな気がしてやるせなかった。
だから、フランスに来て、もらう機会が断然増えた花々には正直ちょっと困っていた。
綺麗な花を見るとどうしてもその行く末を案じて「私の所でごめんね。」、という気持ちになるから、単純に「きれい!ありがとう!」と喜べないのだ。
そんな私の気持ちをよそに、西洋育ちの主人はよく花をくれた。
「きれいだったから、あげたくなった。」、とそんな理由で、特別な事がなくてもしょっちゅう小さな花束を抱えて帰ってきていた。
そして迎えた今年の誕生日、久しぶりに友達から花束をもらった。
春の花々の色の鮮やかさに驚いて、「そう言えば、彼が逝ってしまってから花がテーブルを飾る事はほとんど無かったな」、と思い至った。
以前花束は3日もすると、もう萎れてしまっていたけれど、今回の花束は1週間ほど綺麗に咲いていた。そう言えば、今は不思議な事に、彼が元気な頃は1シーズンで枯らしてしまっていた鉢植えも、随分長くもつようになった。
彼のお別れ会で頂いたアンセリウムは今も青々としているし、今年の命日に買ったカランコエの鉢も花は終わってしまったけど元気だ。
思えば幸せ過ぎたのだと思う。植物の命に気が留まらないほど。
大切な命が一つ消えて、全ての命の尊さが分かった。
大事にしないと自然に与えられた生命力も長続きしない事も。
ただ、今も切り花は苦手だ。
華やかさの中に、失われる悲しさが見えるから。
今でも世話になりっぱなしで親孝行なんて立派な事はできないけれど、
会ったら大事に大事にしようと思う。