手持ち無沙汰な時、温かいお茶のお供にでもして頂ければ、うれしいです。

祈り

人が祈る時、それは自分の力ではどうにもならない状況に置かれた時。

 

仏教的には因果応報で昨日した事が今日に、今日した事は明日へと全ての事象に原因と結果があると言いますが、昨日した事を変えられる訳でもなく、今日何気なくする事が明日の何に繋がるかも分からないので、結局の所、日々見舞われる様々な事にできる限り上手く対応するしかないのが現実。

 

私の場合、根が楽観的なので、試練や苦難にも割りと「何とかなる」と思っているところがあります。

 

でもここへきて、そうとも言えない状況に立たされる事に。こればかりは、自分なりにできる事にただ最善を尽くし、あとは祈るしかない。

 

私が今祈るのと同じ様に、今も世界中で多くの人が祈っているに違いありません。神様などいないと平常時には思っている人も、様々な宗教の敬虔な信徒も、きっと同じくらい強い願いを込めて祈っているのだと思います。

 

祈りを聞いている存在があるかないかも、その存在が何であるかも、この際どうでもいいのかもしれません。大切な人とささやかでも幸せに過ごせる平穏な明日への切望。

 

一人一人みなが同じ思いで祈れば、聞き入れてくれる存在の有無に関わらず、世界は平和になるのかもしれません。

 

どうか今日がみなさんにとって穏やかな一日でありますように。

 

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