手持ち無沙汰な時、温かいお茶のお供にでもして頂ければ、うれしいです。

「当たり前」という奇跡

予定は未定。冗談ではなく、フランスに住んでいると日々実感させられるこの言葉。

 

日本でもアメリカでも、予定や約束事はカレンダーに書き込んだ瞬間から、ほぼ事実扱いでした。例えば「4月20日の午前10時から11時の間に冷蔵庫の配達」とあれば、その時間帯に在宅していれば、何の問題もないという想定で行動するのが当たり前。

 

しかし、おフランスでは、そうは問屋が卸しません。

雨が降る事もあれば、風が吹く事もある。そして、信じられない位のいい天気で、仕事がしたくない事だってある。

担当者のお腹が痛くなる事もあれば、事務所の鍵を持っている人が遅れて出社してくる事もある。そして、約束していた人が他の人に引き継ぐのを忘れ、当日欠勤し、誰も約束について知らない事さえある。

 

そう。ここ、おフランスは、あたかも、人々の行動が占いや空模様に左右されていた彼の昔の様。あの方角は吉だけど、その方角は凶。今日の何時から何時までは外出は控えた方がよろしい。昨日の夜空に何やら不吉な事が起こるらしき予兆があったから、念のため今日の予定は全て遅らせて、まずはお祓いを…等々。とにかく、その日の状況によっては、予定も約束事も後回しにされてしまいます。ただ、大抵の人がこの調子なので、みんな、予定に多少の変更があっても、全て想定範囲内。「そんな事もあるよね。」で済ませてしまえる寛大さがあるのが利点と言えば利点です。

 

 

何かうまく行かない事がある時や予期せぬ困難が降りかかる時にフラン人がよく口にする言葉は「C’est la vie.」人生ってこんなもんよね。「C’est compliqué」何か色々大変よね。「C(e n)’est pas grave.」大したことないよ。「Tant pis」仕方ないよね。

 

一見、諦めちゃってるようなこれらの言葉ですが、この裏には何事も受け入れる準備のある心構えがあります(もちろん、そのまた裏には、わたし・ぼくにもよくある事だから、その時は許してくれるよね~。という甘えの様な気持ちも存在するのかと思いますが…。)

 

そして、最初は「何で?どうして?何があったの~っ!!」と、事ある毎にパニクってしまっていた、「合理的・効率的な物事の運び方」が当たり前の世の中で生きてきた私のような移民も、度重なるトラブルに慣れてくると、徐々にトラブルをトラブルとも感知しない寛容な気持ちも身に付き、逆にスムーズに物事が進む事に奇跡を感じ、感謝できるようになります。

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先日、待ちに待った息子の治療開始日でした。

前夜に家を出る所から予約当日までの行程を細かいところまで準備しておいたお陰で、私たちは無事予約時間の30分前に病院に到着しました。受付も済ませ、余裕を持って病室に入り、事前の血液検査も時間通りに行われました。ここまで、何のトラブルもなかった事に、私も夫も驚き、感謝~。

 

麻酔クリームを背中に塗ってもらい、1時間後には投薬ですよと言われました。いよいよか、と期待も膨らみ始めました。予定より少し遅れて現れたのはお医者さんではなく理学療法士の先生。薬の効果を調べるために、投薬前の筋力を見ておきたいとの事。息子はその日朝から何も食べておらず、睡眠不足もあって、治療前の標準的な状態とは言えないのでは…という疑問もありましたが、それでも比較のためのデータはあった方がいいという事で、息子はリハビリルームへ移動し、指示通りに身体のあちこちを出来る範囲で動かしました。所要時間約45分。

 

病室に戻り暫くすると、当初の予定を2時間ほど押して、ようやく担当のお医者さんが現れました。にこやかに挨拶を交わすと簡単に投薬の手順の説明を受けました。

「まずは脊髄に針を刺し、髄液を少し抜き取り、抜き取った髄液と同量の薬を注入します。髄液を抜くと、その副作用で頭痛がする事がありますが、ちゃんとモニターしますし、痛み止めもあるので心配しないで下さい。投薬は問題がなければ15分位で済みます。」

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説明が終わると、2人の看護婦さんと麻酔担当のお医者さんと一緒に動き始め、あれよあれよという間に投薬準備完了。私は病室に残り、一部始終を見守る事に。

まずはお医者さんが背中に触れ、注射に最適な場所を慎重に探します。場所を決めると入念に消毒を済ませ、そこへ10センチもあろうかという長い針がゆっくりと刺し込まれました。

「うまくいきますように!」祈りと共に、息をするのも忘れて凝視していると、お医者さんがちょっと首をかしげました。

『問題かな…』ちょっと嫌な予感がしました。

 

差し込んだ針を少し回したり、前後に動かしたりしていましたが、どうもうまくいかなかったようで、針は早々に抜き取られました。何やら看護婦さんと言葉を交わした後、再度挑戦。

 

2度目…そして3度目。

息子は長い針が背中に入る度に痛そうにしています。お医者さんの表情はだんだん厳しくなっていき、何と4度目もうまくいかず。

 

心配顔の私を見てか、お医者さんから「背骨と背骨の隙間がせまいようで、針が脊髄まで到達しない。」と説明がありました。何となく諦めの雰囲気を漂わせるお医者さんに、内心『もしかして、投薬は無理って言いたいの!?頼むから、簡単に諦めないで!』と、焦った私は、事前に色々な投薬方法について読んでいたので「アメリカではCTスキャンを使って投薬するって話も聞いた事あるんですけど…」と遠慮がちに言いました。

 

医療関係者でも何でもない人間が治療法に口出しするのはどうかと一瞬不安が過ぎりましたが、私の話を聞くと、お医者さんは表情を少し明るくして「そうですね。それも可能ですね。」との反応!お医者さんは看護婦さんとレントゲン室との連携に関して少し相談した後、「今日、これからは無理ですが、次回の予約日に手配できるよう努力しますね」との事。一瞬暗くなった目の前に、ホッとまた明かりが灯りました。

 

そして、「最後にもう一回だけ、挑戦するね。」と息子に声をかけ、5度目の挑戦。私は、もう一度心の中で成功を祈りましたが、やはりうまく行かず、息子の背中に5カ所の注射針の後を残して針は抜き取られました。

 

お医者さんは、「すみません。やっぱりうまく行きませんでした。」と、申し訳なさそうに謝罪。『背骨の隙間が狭いのはお医者さんのせいではないのに』と、お互い申し訳ない気持ちを困った笑顔で優しく分かち合いました。そして果敢に痛みに耐えた息子にも「時々こういう事もあるのよ。〇〇君だけじゃないのよ。とくに側弯があったり、背骨の手術をしたりしている患者さんには投薬ができない事もあるの。」と説明し、「でも今度はスキャンを使ってやってみるからね。」と次回への希望を繋いでくれました。

 

という訳で、残念ながら今回待ち望んだ奇跡は起こりませんでしたが、もう一度チャンスが与えられただけでも「良し」とします。

 

次回の予約日はまだはっきりしておらず、また連絡待ちですが、待たねばならぬ時は待つのみ。春の陽気を楽しみながら、健康に気を付けて、次回に備えます。

 

息子よ。痛いのに何度も頑張ってよく耐えたね。母は代わってあげられない。ただ祈る事しかできない。次回こそは奇跡が起こりますように、と。

 

そして最後に、日々分刻みで奮闘している日本の働く皆さんは、毎分毎秒奇跡を起こしています。まさに神業です!だから、時々、奇跡が起こらなくても、イライラしたり、トゲトゲしたり、ギスギスしたりしないで下さい。神業を習得しても、人間は人間。誰でもお腹が痛くなる事はあるんですから。