手持ち無沙汰な時、温かいお茶のお供にでもして頂ければ、うれしいです。

SPINRAZA™ (nusinersen)による治療開始が決定しました!

昨年11月、息子が意を決して担当のお医者さんにSpinrazaの治療を受けたいとの希望を伝えてから4カ月。待ちに待った治療開始日が決まりました!

  

 

 

yamatopiece.hatenablog.com

 

 

yamatopiece.hatenablog.com

 

当初、クリスマス前後には始められるだろうとの話でしたが、年末に近づいても一向に連絡がなく、もしや大量の書類の中に埋もれて忘れられてしまったのではないかと心配は募るばかり…。

いつもは脳天気でそうそう不安になったりしないのですが、昨年末から悪い事が続いていて、少し気弱になっている自分に気が付いていました。

 

yamatopiece.hatenablog.com

 

いつもの自分を取り戻すべく、3週間程前に子供達の学校がある街の教会へと足を運びました。教会は修理中で少し騒々しく、入ろうかどうか一瞬迷いましたが、行きたいと思った日が一番いい日と自分に言い聞かせて中へ。ゆっくりと祭壇の方へ歩いていくと、女性が一人静かに座っているのが見えました。自分の姿が映るようで、元気づけられました。まずは、教会内を静かに歩き、チャペル(小さな祭壇)を拝し、2本のキャンドルに火をともしてから、椅子に座りました。それから、心を落ち着けて、家族の健康の事、息子の治療の事、日本の両親の事、それから何よりも穏やかな日々が戻ってほしい事などについて祈りました。

f:id:yamatopiece:20190312235929j:image

 

「日本人が、教会で祈り?」と不思議に思われる方もいるかと思いますが、実は私、クリスチャン家庭に育ちました。「信心深い」とは口が裂けても言えませんが、教会という場所で祈る事に抵抗はありません。

人間、幸せにはすぐに慣れてしまって、当たり前すぎる穏やかな日常が、いかにありがたい事かを忘れがちです。でも、人生順風満帆な時ばかりではありませんよね。不運に見舞われる時、不安に心が騒めく時、窮地に立たされる時、自分の無力さを思い知り、人は神社やお寺など、一番自分の心に近い場所へ行って願を懸けます。

私にとって、その場所は昔も今も教会です。その点、フランスではどこの街にも必ず教会があるので、苦労はありません。

普段は感謝の一つもしないで、「苦しい時の神だより」。こんな自分よがりな祈りや願いが聞き入れられるかどうかという心配も無きにしもあらずですが、ここは他力本願。全ての人々の幸せを願う慈悲深い「神様」(仏教では「阿弥陀如来」、神道ではどの神様にあたるんでしょう?)の力に甘えるのです。

そうして15分程静かに祈った後、教会を後にしたわけですが、不安で塞いでいた心に風が通り、少し肩の荷が下りた感じがして、気持ちも前向きになった気がしました。弱気になっている時に行くからか、教会へ行く度に心が洗われる実感があります。

あれから3週間経ちますが、今のところ、更なる不運には見舞われず、息子の治療の日程を知らせる通知が届き、何となく明るい明日が見えてきたような…?

また心に埃が溜まって、気持ちが淀み始める前に、近々教会にお礼に行ってこようと思います!

 

All I know is that when I pray, coincidences happen; and when I don't pray, they don't happen. 

私が知っているのは、ただ、偶然は祈る時には起こるけど、祈らない時には起こらないという事だけ。— Dan Hayes