飲むと、ほぉ~っと心を和ませてくれる、お茶っていいですよね。
特に、この季節、忙しく立ち回った後に飲むお茶は格別です。
一息つく。そして、ゆっくりと窓の外を眺めてみましょう。
慌ただしい毎日、心も体もちょっと疲れ気味になってくると
秋晴れの高い空も、朝の澄んだ空気も、色づく紅葉や銀杏も
何にも心が動かなくなってしまいがち。
生きていくのって、確かに大変な事も多いですよね。
でも、辛い経験をして初めて、当たり前である事の幸せを感じる事ができるようになるのも事実。
生命の大切さや、美しさを知るには、命の弱さ、はかなさを経験しなければいけない。
人の優しさやぬくもりを感じるには、人の冷酷さを身をもって体験しなければならない。
だから、やっぱり人生、時には大変な事がなければ、人生の本当の素晴らしさって分からないのかもしれないな、と思います。
辛いな、と思う時。
温かいお茶で一息ついて、
「ピコピコピコ…人生経験値1UP!」が聞こえたらしめたもの。
何か、いい事起こりそう。
では、ここで、美味しいお茶の淹れ方をユダヤ人のお爺ちゃんから習いましょう。
ある小さな町に美味しいお茶を振舞ってくれる事で有名だったユダヤ人のお爺ちゃんがいました。一日に一杯はお爺ちゃんのお茶を飲もうと、お爺ちゃんの家には、お茶菓子をもって、いつも誰かが来ていて賑やかでした。
でも、年を取ったお爺ちゃん、ある年、とうとう病の床に伏してしまいます。
お医者さんも、もうなす術がないと、首を横に振ったその夜、
家族や友達、ご近所さんなど、お爺ちゃんとお爺ちゃんのお茶が大好きだった人が
お爺ちゃんの枕元に集まりました。
すると、何日も眠っていたお爺ちゃんが、それに答えるように目を開きました。
家族も友達も、ここぞとばかりに声を掛けますが、返答はありません。
そこで、ご近所さんの一人が意を決したように大きな声で尋ねました。
「お爺ちゃん。あんたのお茶は本当に美味しかったよ。いつもありがとうな。
…で、何度聞いても教えてくれなかったけど、どうしたら、あんなに美味しいお茶が淹れられるんだい?なぁ、お爺ちゃんや、もう、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないかい?」
お爺ちゃんの口元に薄っすらと笑みがこぼれました。
そして「誰にも、言うんじゃないぞ。」
みんな、お爺ちゃんのハッキリとした声に、息をのみました。
「…茶っ葉じゃ。茶っ葉をケチるんじゃない!」
そして、お爺ちゃんは口元に満足そうな笑みを浮かべたまま、息を引き取りました。
人にもよると思いますが、日本人はあまり濃い紅茶を好みませんよね。
留学資金を稼ぐために洋食屋さんでアルバイトしていましたが、その時も
紅茶はティーカップの底が見えるぐらいの濃さでした。
手鍋にお湯を沸かして、直接茶葉を淹れ、すぐに火を止めて、ふたをする。
香りが立ち、綺麗な、深いけれど透明感の残る色までお茶が出たら、
茶こしを通してカップに注ぐ…
ミルクティにする時はお茶の味がミルクに負けないように、濃いめに淹れていましたが。
でも同じ茶葉を使っていても、ヨーロッパでは紅茶をコーヒーと同じぐらいの色になるほど濃く入れます。渋みや苦みも美味しさのうちなんでしょうね。
今日は、ユダヤ人のお爺ちゃんに思いを馳せて、ちょっと濃いめに入れてみますか。