手持ち無沙汰な時、温かいお茶のお供にでもして頂ければ、うれしいです。

春うらら、ラーシャン(Larchant)へ散歩に

先日、ポカポカ陽気と元気な年配のお友達(御年79才なり!)に誘われて、知る人ぞ知るロッククライミングのメッカ、ラーシャン(Larchant)へ散歩に出かけました。

つい数か月前までは、ちょっと買い物に出るのも億劫でしたが、春の暖かさも手伝ってか、まだ重たい腰をあげる時の「ヨイショ」は必要ですが、それほどウダウダ考えずに出かける事ができるようになってきました。

世界中からここの巨大な岩に挑戦するためクライマーが訪れるというラーシャン。私は登った事が無いので、その醍醐味は分かりませんが、その日も人出が多く岩場近くの道路は大変な混雑でした!

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私たちが向かったのはクライマーが集まる場所ではなく、小高い丘を登る簡単な散策道。でもこちらも巨石がゴロゴロ。登りたくなる気持ちも少し分かります。

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20分ほどで頂上に到着。丘の上は開けていて、ごつごつした岩の険しい景色とは対照的な周りに広がる緑の海。

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そこで見つけた一本の木。

周りに木がないので、日光も存分に浴びているせいか、とても堂々とした枝っぷり。

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でも根本に目をやると…、見て下さい!

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岩の上の少ない土では当然、水分も養分も足りないので、土壌を探して根を伸ばしてついには岩の下の地面を探り当て、そこへ根を張っています。

『こんな場所でよくもここまで大きくなったなぁ、』と思うと何だか励まされているようで、元気をもらいました。

 

人も、生まれてくる環境は選べません。この木だって好きでこんな岩の上に芽を出したわけではありません。でも、どんな所に置かれても自然の営みは諦める事を知りません。

人は考える力に恵まれたため、その知力と技術で様々な事を発見し発明し、人類は発展を遂げてきたわけですが、その反面、思い悩まざるを得ない生き物なので、自力では抗う事ができない運命の流れに押されて不利な状況に置かれると、精神的に辛くなります…。

辛くなると気持ちのやり場に困って、運命の非情さを責めたり、他人を責めたり、家族を責めたり、自分を責めたり…。そうこうする内にネガティブ思考のスパイラルに陥って、時には抜け出すのが難しくなってしまいます。

 

だけど、人間以外の動植物は、思い悩む事をせず、置かれた場所で何とか生き残る術を本能的に見つけ出すおおらかさと逞しさがあります。人間も自然界の一部。同じ生き物だと考えると私の中にもこの木と同じおおらかさや逞しさがあるのかもしれません。

厳しい環境に置かれても、その都度、ギリギリ生きていくのに必要な水と養分を与えてくれる少量の土に感謝しながら、少しずつ枝を伸ばし、根を張って、明日の供給源を確保する努力をしていく事が大切なんだなと思いました。

 

この木の姿を心に、今日も一日、いつも支えてくれる、家族のため、人のため、できる事をしながら、大切に過ごしたいと思います。