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進行性脊髄性筋萎縮症(SMA)-診断(その1)

10万人に一人が発症するという難病。

現在の所、治療法は無く、日々少しずつ進行していく病気。

今まで何とは無しにしてきた事が、だんだん出来なくなり、介助が必要となっていく。

 

私の息子は4才の時、この病気と診断されました。

 

でも、母親の目から見ると、2歳頃にはすでに色々な症状がありました。

平坦な道でもよく転ぶ。走るのが極端に遅い。しゃがめない。床から立ち上がるのが難しい。歩く時には土踏まずが地面に押し付けられて足首が内側に傾いてしまう、などなど。

心配して色々なお医者さんに診てもらっても、稀な病気とあってすぐに診断には結びつかず、大抵は「少し運動機能の発達が遅れているだけでしょう。4,5才頃までには他の子供たちと同じ様に走り回っていますよ。」と言われるばかりでした。私としてはその都度少し安心するものの、「何かが違う」と腑に落ちませんでした。

 

そして、3歳。幼稚園に入って二月ほど経った頃、先生から、

「お宅の息子さん、他の子供たちと比べると、足の力が弱いようなので、少しリハビリに通わせてあげるといいのではないか」と言われました。その幼稚園は、たまたま障害児向けの施設が併設されていたので、そこで働くリハビリの先生が見て下さった事で、ただの運動機能の発達の遅れではない事が分かった様です。そして、産婦人科・小児科専門の病院のリハビリ施設で予約を取る事になりました。

 

その頃には、私の心配は、日々大きくなっていたため、インターネットや書籍などで色々調べていました。症状から調べると、色々な病名が出てきて、中には20才、40才、と寿命が示されている病気もありました。それぞれの病気のそれぞれの症状。今ほどソーシャルネットワークは発達していなかったので、患者さんが自分の生活を語っているような記事はなく、大部分が医療用語としての解説か、医療機関が提供する患者さんとその家族向けの情報といったものでした。頭でっかちになった私の心は不安と心配で膨れ上がっていました。旦那にも同居していた旦那の母にも相談できずにいたので、幼稚園の先生の言葉を聞いた時には「これで、病気が分かるかもしれない」と正直、目の前に進むべき道筋が照らし出された様で、ホッとして、気持ちが少し楽になったのを覚えています。

 

11月。息子を連れて産婦人科・小児科専門の病院のリハビリ施設へ。

小児科専門の施設という事もあり、明るく元気な色で溢れており、スタッフの方も皆笑顔だったため、息子も嫌がる事なく、先生と一緒に色々な遊具を使って楽しく運動機能テストをしました。息子は、頑張ったご褒美として、小さなオモチャまでもらい、嬉々とした様子でした。そして、テスト結果は次週という事で、予約をとって帰宅しました。

 

そして結果報告の日。先週と同じ部屋に招き入れられますが、リハビリの先生の他に、小児神経科のお医者さんもいらしていました。リハビリの先生から、できた事、できなかった事などを普通の子供たちの平均能力と比較しながら説明があり、お医者さんは簡単に息子の身体検査をしながら「あれやってみよう。」「これはできるかな。」などと体を動かさせていました。

そして、その日、念のために遺伝子を調べる血液検査をした方がいいという事になり、遺伝子学専門の病院へ紹介されました。

 

リハビリの施設までは私と息子二人で行きましたが、遺伝子学のお医者さんとは主人も一緒に来るようにと言われました。

 

進行性脊髄性筋萎縮症(SMA)-その2 へ続く