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はてなブログで考える (・・? な命

人の体にはおよそ270種類の細胞が約37兆個あるとか。

もとは、一つの受精卵。それが分裂を重ねて人の形となり、生まれてくる。

www.hokudai-rbp.jp

でも、数字をいくら見せられても、命の謎は深まるばかり。

考えてみると、「細胞が分裂する」という事自体、奇跡ですよね。

そこに生命が宿っているから「分裂」するんだという事になるんでしょうが、その命ってそもそも何なんでしょう…?いったいどこからどうやって湧いてでるんでしょう…??親から受け継いだ???いや、でもそうすると、遡るだけ遡って、40億年前の地球上最初の生命の誕生が説明できない…????そしてその不思議に宿った命に、感情が生まれて一人一人に心が備わるって…?????

と、考えれば考えるほど「はてな」の数が増えていきます。

 

数日前、私の友達のご主人が突然亡くなりました。40代の働き盛りに、彼女と4人の小さい子供達(4才から8才)を残して。

ご主人の事は、きちんと話す機会がほとんどなかったので、あまりよく知りませんが、彼女の話からは、子煩悩で、ちょっとやきもち焼きで、自然をこよなく愛し、友達が多く、とにかくアクティブという印象でした。

その生命力にあふれていたご主人が、何の前触れもなく、亡くなってしまったのです。

命。願って与えられた命ではなくても、生きていくうちに、楽しい事や辛い事など色んな経験を重ね、色んな人と出会い、少しずつ大切なモノが増えて、守りたいモノが増えていくのではないでしょうか。若い頃は自分のために生きてきたのが、だんだんと何かのため、誰かのためにも生きるようになって、きっと知らず知らずのうちに、自分の命は多くの人と共有されるようになるんですよね。

突然4人の子供のシングルマザーとなった友達。

何を言ってあげられるか、何がしてあげられるか、悩みましたが、もちろんいい答えが見つかるわけもなく、とにかく話を聞こうと電話したところ、彼女は開口一番、

「家族に友達、○○の会社の人、近所の人、それに学校の先生。とにかく、信じられない位たくさんの人たちに助けてもらって、本当に感謝なの。子供たちも私も元気だから心配しないで。」、と驚くほどハリのある声。

ショックに違いないんです。将来も恐ろしく不安に違いないんです。

でも、確かに周囲のサポートは大きく堅固です。ご主人が亡くなってすぐに、彼女のもとへ家族が駆けつけ、ご主人の友人と家族によって彼女と子供達のためのネットファンドが立ち上げられ、フェースブックでも掲示板が設けられて、ご主人を知る人たちからサポートと共に、写真や思い出話し、動画が続々と寄せられています。ご主人がいかに多くの人の心に触れ、惜しまれているかが分かります。そして何よりも、彼女と子供達の事を思い、心を痛めている事が伝わります

 

www.gofundme.com

人の命と心。命が途絶える時に心が消えてしまわず、体から解き放たれるのだとすれば、彼女のご主人の心は、彼女と子供達の事が気がかりで気がかりで仕方がないに違いない。でも、こうして、彼と彼の家族を知る人たちが心を合わせて彼の残された大切な家族の今とこれからを支えてくれているという事は、大きな慰めだと思います。

 

毎日命は生まれ、途絶えている。生を受けた以上、どうもがいても、必ず途絶える時はやってくる。

これからの一つ一つの出会いを大切にしていかなくては、と思う。

家族を大切にしていかなくては、と思う。

友達を大切にしていかなくては、と思う。

命も大切にしていかなくては、と思う。

SMAのための新薬RG7800- 臨床試験フェーズ2が始まります。

脊髄性筋萎縮症の患者のための新しい薬「RG7800」のフェーズ2臨床試験が始まるとの発表がありました。こちらの薬は、患者の体内にあるSMN2遺伝子がより多くの機能的mRNAを作り出せるように働きかける事を目的に開発されました。

 

www.ptcbio.com

 

今回の臨床試験は48名の患者さんを対象に12週間にわたって行われる予定で、主に安全性を調べるのが目的です。

すでに完了したフェーズ1の臨床試験は健康な方を対象にして行われ、試された投与量の全てが安全であり、予想通りのSMN2遺伝子の機能も向上が見られました。

「RG7800」の開発はPTC社とSMAファンデーションの監督の下、Roche社によって進められています。

 

患者さんと患者さんの家族が、今日も希望を持って、充実したいい時間が過ごせますように。

臨床試験に関わる皆さんとその仕事を支える家族の皆さんに感謝しつつ、皆さんの健康と幸せが守られますように。
そして、私も息子も誰かの役に立つチャンスが与えられますように。

キラリ輝く瞬間

いつもの見慣れた風景。何も変わらない様に見える街並みや山や川。

でも、空一つ見ても、毎日太陽の昇る角度は変わり、月は満ち欠け、雲は空を渡っていきます。木々や草花も芽を出したり、花を咲かせたり、実をつけたり、枯れたり…、と自然の営みを絶えず続けています。

そして、ある朝、何気なく外に出ると、いつもと何ら変わり映えのしないはずの景色が、朝焼けを残す空の下に少し薄紫がかった靄に包まれて、思いもしなかった様な幻想的な美しさを帯びているのを見て、こんな素敵な所に住んでいたのか、と不思議な気持ちになったりします。

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どんな町も、どんな人も、美しく映える瞬間があります。

悲しいのは、その瞬間が余りにもはかなくて、捉えるのがとても難しい事。

悲しいのは、自分にもそんな瞬間が必ず訪れているはずなのに、それに気づかない事。

 

人や物が輝く瞬間。そんな貴重な瞬間に出会えた時、その感動を共有できる人が側にいたらいいですよね。

そして、輝いているのが人であれば、その人にもそれを伝えてあげたい。

面と向かって褒めるのは照れ臭いけれど、それで、きっとその人は幸せな気持ちで一日が過ごせて、輝きも長続きすると思うから。

できるだけさりげなく、

「なんか、今日かわいくない?」とか

「何かあった?その笑顔いい感じ。」とか…?

いや、やっぱり照れますね。

 

とにかく、大勢の役者がいるこの地球というステージ。ただのチョイ役でも、みんなそれぞれの役割に選ばれて出演している。そして、必ず、出番がやってくる。私は、その時、幕の影で、「さっ、出番ですよ。」と応援の気持ちを込めて、知らせる人になりたい。大きなスポットライトを浴びる事はなくても、舞台はいつも照明で照らされています。柔らかい光の中でも、みんなキラッと輝けますように。

 

 

All the world’s a stage, And all the men and women merely players: They have their exits and their entrances; And one man in his time plays many parts, His acts being seven ages.   Shakespeare

 

全世界はステージである。そして男女関わらず、みんなその役者にすぎないのだ。みんな出番があり舞台に登っては去っていく。それぞれの役者には年代毎に多くの役どころが割り当てられていて、7幕構成となっている。  シェイクスピア

趣味が辛いって?

独学でピアノの練習を始めてかれこれ3か月。

何とか楽譜通りに指が動くようになってきたものの、イメージする曲の流れと抑揚にはまだほど遠いのが現実…。弾き始めは深く優しいピアノの音に揺られるように気持ちよく弾けるのですが、中ほどに差し掛かると、前半うまく弾ければ弾けるほど、どうしても「間違わないように」とか、「次は親指!人差し指は使わない!」とか変なプレッシャーに飲まれてしまいます。誰に聞かせる訳でもないのに、なんで自分にこれだけプレッシャーをかけてしまうんでしょうか??

真面目な人ほど色んなことを背負い込んで苦しくなると言いますが、ピアノを練習し始めて思うのは、案外、周りの人に与えられるプレッシャーよりも、自分への「こうあるべきだ」という義務感や責任感、期待感などがストレスの一番の原因ではないか、という事です。

これまでの仕事の経験を振り返ってみても、ストレスを感じる時は、大抵自分がいい仕事をして、何らかの結果を出したいと思っている時でした。深夜、寝る間も削って懸命に仕事をする時、「期限内に自分にできる最高の仕事をしろ!」、と鞭打っているのは他ならぬ自分です。幸か不幸か、私の仕事は、ほとんどの場合、自分の決めたペースで進められます。そして上司も部下も存在しないので、成功も失敗も全ては自分の責任です。

こんな私の働き方を見て、旦那は「いい加減、日本人やめたらどうだ!」、といつも言います。その都度「次の仕事があるかどうかは、今の仕事に掛かっているんだから」と説明していました。自分でもそう納得していたのです。

 

でも、ピアノを練習し始めて、自分自身がストレスの原因だと初めて気が付きました。だって、上手く弾けようが、下手にしか弾けなかろうが、どうでもいい事なはずなんです。素人の独学。楽しく練習して、上達してきたら、上手になったね、と自分を褒めてあげればいいはずなんです。もう楽譜も覚えて、指もそれなりに動くようになったんだから、後はリラックスして弾ければ、きっともっと音色や和音や曲の流れに集中して、イメージに近い曲になるに違いないのに…。

なので今は、ピアノに向かう時は鍵盤に触れる前に大きく深呼吸して、これから美しい曲を聴くんだ、というワクワクする心の準備をするようにしています。ピアノを練習しているのは、あくまでも生きている時間を大切にし、ささやかな幸せを増やす事が目的ですから。

みなさんも力が入り過ぎていませんか。深く呼吸をして、肩の力を抜きましょう。忙しくて混乱しがちな頭の中に新鮮な酸素を送り込み、一旦すべてを白紙に戻しましょう。そうすれば、一番大切な事がおのずと浮かび上がり、そのために頑張る気力が生まれるのではないでしょうか。

 

今日も、皆さんの一日がいい日でありますように。

そして、一日の終わりには、「今日も、よくやった!」と自分を褒めてあげられますように。

兄弟姉妹

私はベビーブーマ時代の大家族に生まれ、兄や姉が高校を卒業して家を出るまでは、自分の自由になるスペースも静かな時間もありませんでした。時には喧嘩をして泣かされたり、あまりの人口密度の高さに酸欠状態に陥る気がしたりしたほどです。ですが、今から思えば、根底には大きな家族愛があり、寂しさや孤独感を感じることなく育ちました。大学に入ってからは、家を出たものの、アメリカ暮らしという事もあり、安全と家賃を低く抑えるためにルームメイトと暮らしていました。ただ、学生時代最後のルームメイトは付き合っていた人と半同棲状態で家には帰ってこず、ほとんど一人暮らしの状態が1年以上続きました。そうなると断然人恋しくなり、人の気配のない部屋にいる事が耐えられず、見もしないテレビをいつもつけっぱなしにしていたのを覚えています。

そしてあの若く麗しい時代(?)はあっという間に過ぎて、結婚し、働き、長男が生まれました。退院して、授乳とオムツ変えで寝不足が続く毎日でも、なぜか常に「あー、もう一人欲しいな」と考えていました。きっと、大家族で育った私には、兄弟姉妹がいる事が極自然だったからかもしれません。まぁ、旦那の方は、相変わらず仕事中心の生活で、育休中だった私が家事も育児も担っていましたが、どういう理由からか大変がって、すぐに「もう一人」とはなりませんでした。

そして息子が2才を過ぎた頃から病気の症状が出始め、原因が分からなかった事もあり、二人目は先延ばしにしていました。4歳で診断を受けた時には、主人も私もお互いに遺伝子の欠陥があり、4分の1の確率で、生まれてくる子供は同じ病気を発症すると知り、一旦は諦めようと決めました。親が良くても、病気を抱えて生きていくのは子供ですから。

でも、この考えが変わる出来事が起きます。

 

日本に短期滞在していたある日、義母が体調を崩し病院へ。その頃息子は4歳半。不自由ながらもまだ歩いていました。義母が診察前に血圧を測ってもらい、体重計に乗ろうと靴を脱ぐ際、体調が悪かった事もあり義母は少しふらつきました。それを見ていた息子はお婆ちゃんを助けようと、不自由ながらも歩いて行ってお婆ちゃんに手を貸し、靴を履きやすいように揃えてあげたのです。

義母は感動し涙ぐんでいました。

 

障害があるなしに関わらず、生まれてくる命には役目があるのだと感じました。

 

その夏、私たちは二人目の子供を授かりました。

そして、息子は5歳でお兄ちゃんになりました。幸いなことに、娘は健康です。検査で、健康だと知らされた時、お医者さんの前で不覚にも涙が溢れだし、暫くとまりませんでした。どんな結果でも、取り乱さないと覚悟していたのに、当たり前に、健康で生まれてくる事の素晴らしさと奇跡に胸を打たれたのです。健康、一番の宝物ですね。

 

あれから8年。息子は今では車椅子です。兄妹は大の仲良しで、13才の息子は、今でも時々8才になる妹のおままごとに付き合ってワイワイ楽しそうに遊んでくれています。娘はお兄ちゃんの手となり足となり、頼まなくても自然と息子を助けてくれています。そして息子は「僕はこのままでいいや。みんな優しくしてくれるし。」と言っています。あー、つくづく幸せ者です。

言っておきますが、もちろん二人とも天使ではありません。喧嘩もしますし、親のいう事を聞かないこともしょっちゅうです。でも、私はこの二人の母親に慣れた事がとても幸せです。

 

There are only two ways to live your life. One is as though nothing is a miracle. The other is as though everything is a miracle. -Albert Einstein

生き方には二通りの道しかない。一つは奇跡などありはしないように生きる事。もう一つは全てが奇跡であるかのように生きる事。

SMA1型~3型のための新薬SPINRAZA™ (nusinersen)

難病とは、治療法が確立しておらず、慢性的な経過を辿り、家族や保護者の精神的、肉体的、経済的負担が著しい病気とされています。

難病を抱える人も、その方を支える周りの家族や友人も、皆、医学の進歩に期待を寄せ、いつの日か、病気が完治とまでは行かなくても、症状の軽減や、進行を遅らせる新薬や治療法が見つかるのを日々心待ちにしています。

 

息子が患っている病気は、幸い原因がはっきりしており、現在も多くの薬や治療法が研究段階にあります。以下のサイトに現在研究開発が進められている薬の一覧が載っています。

Cure SMA | Latest Advances

 

息子がおよそ9年半前に脊髄性筋萎縮症と診断された時、カウンセラーの方もお医者さんも10年後には何らかの治療法が見つかっている可能性があるので、希望を捨てないように、との話がありました。あれから、定期的にどんな研究が進められているか、できる範囲で調べていました。

 

そして、あの「10年」まで半年強となった今月の初め、以下の研究結果がBIOGEN社とIONIS社より発表されました。

www.fiercebiotech.com

簡単に内容を要約すると、BIOGEN社とその薬品開発提携先であるIonis社のチェリッシュと呼ばれる治験(フェーズ3)結果が発表され、SMA1型から3型までの患者のために開発されたSpinrazaと呼ばれる薬に、安全性に問題なく患者の運動機能を高める効果がある事が証明されたという事です。また、この薬が早ければ今年末か2017年第1四半期よりアメリカにて発売される、という事も書かれています。

 

日本では一般的に新薬承認に時間がかかると言われていますが、この病気は承認が2年遅れれば、大切な命が失われてしまう事も考えられます。

 

どこで開発されたかに関わらず、新薬が世界中の難病を抱える方々の治療に、できるだけ早く役立てられるよう、国際的な制度が整う事を願ってやみません。

 

輝く命の灯が、これからも私たちを照らし続けてくれますように。

 

日々、開発研究に励んで下さっている研究者の方々、開発研究ができるようにと費用を援助して下さっている方々、患者とその家族を支えて下さっている医療従事者の方々、みなさんに心から感謝します。皆さんと、皆さんの家族の健康も守られ、毎日が幸せでありますように。

そして、私も、誰かの役に立つ事で、お返しができますように。

 

新しい命

親から子供へと脈々と受け継がれていく命。両親の遺伝子が掛け合わさり、新しい命が息づき始める神秘。何十億年と繰り返されてきた、ごく当たり前の自然の摂理だとは言え、やはり背後に大きな力を感じます。

 

日本人は昔から何気なく神社やお寺にお参りにでかけますよね。きっと、私たちは色々な事象にはたらく「背後の大きな力」の存在に敏感なのだと思います。

 

「世の中、人の力ではどうしようもない事が多々起こる。だから、私たちの力の及ばない所はやはり神様にお願いしておきましょう。」、という感覚でしょうか。

いい恋人や伴侶が得られるようにと、縁結び祈願。

家族ができたら、家内安全、無病息災。

子供が欲しくなったら、子宝祈願。

無事授かったらもちろん、安産祈願。

そして赤ちゃんが生まれたら、初お宮参り。

その後も初正月に初節句、七五三など、節々でお参りに出かけますね。

 

でも、日本人のいいところは、願った事が叶わなくても、「お賽銭けちりすぎたかな…」、ともう一度お参りに行くことはあっても、決して「何でお願いしたのに聞いてくれないの!」などと神様を恨んだりしないところだと思います。そして願いが叶えば、できる限りお礼にお参りに行き、これからの事もお願いする。

 

私の場合、息子を授かったのは29才の時でした。

アメリカに住んでいたので、もちろん願懸けとは無縁でした。

それでも、妊娠中は産婦人科でもらった本や、図書館で借りた本などを読みあさり、

お腹の中の赤ちゃんが元気に育ってくれるよう祈りを込めて、食べ物や飲み物に気を配り、運動嫌いも何のその、仕事が休みの日も、天気のいい日は散歩に出かけるなど努力しました。

 

そして息子は予定日きっかりに「準備完了!これから出ていきますよ!」、と信号を出して、翌日、それも5月5日の子供の日に、元気に生まれました。57cmの3750g。それはそれは堂々とした赤ちゃんっぷりでした!

「私たちの所に来てくれてありがとう!」と感謝の気持ちで一杯になった事、忘れられません。

息子は、少なくとも4分の3は旦那似で、本来イクメンとは程遠い性格の彼もメロメロでした。旦那の小さい頃の面影を息子に見た義母もすっかりトロケテました。私の家系から受け継いだ特徴と言えば、タップリの髪と少し切れ長の目。

 

でも両親の生まれ持つ数えきれない程の遺伝子の中から子供に受け継がれる遺伝子は、いい特徴も、悪い特徴も関係なく無作為に選ばれるんですよね。親も子供も、受け継ぐ遺伝子を選ぶ事はできません。

 

私と旦那、二人の遺伝子には同じ欠陥がありました。ですが、この遺伝子は劣性遺伝なので、私たちには症状が全くありません。ですから、お互い、自分にそんな遺伝子がある事は、知る由もありませんでした。でもその劣性の遺伝子が4分の1の割合で掛け合わさった時に、病気が発症します。

 

息子は自分で選んだわけでもなく、10万人に一人という難病を抱えて生まれてきました。そして、この病気と共に生きて13年。息子にとっては毎日が挑戦の繰り返しです。健常な子供であれば思いもよらない事が難しいのです。

大変な事を数えたらきりがありませんが、それでも息子は幸せ者だと私は思っています。多くの人の助けを借りていますが、学校へも毎日通い、好きなアニメを見てはガハハハッと大声で笑い、友達とゲームの話で盛り上がり、虫歯ゼロの強い歯を持ち、ギリシャ神話のマニアで神様の家系図も描けてしまうほどの記憶力があり、数学でも100点が取れて先生に褒められるなどなど。毎日いい事があって、結構楽しんで生きているのが分かるんです。

 

だから、当たり前の幸せに鈍感になってしまい、「何もいい事がない…」と気持ちが沈むとき、願懸け無しで恵まれた色々な事に目を向けてみて下さい。

 

例えば、紅葉の秋。紅葉狩りに出かけて、これはと思う一枝を、何とはなしに腕を伸ばして掴み、そっとたわませて顔のそばに寄せて、綺麗に色づいた紅葉と写真を撮る。落ち葉の美しさに感動して、しゃがんで一枚拾い上げて、持ち帰る。

これだけの動作にも、関節が働き、筋肉が働き、神経が働いています。

普通に、当たり前に、正常に働いています。

息子にとって、それは待ち望む奇跡です。