手持ち無沙汰な時、温かいお茶のお供にでもして頂ければ、うれしいです。

寒い冬の日。人の暖かさ、しみじみ。

親になると、これまで自分とその周りの事を考えて生きてこればよかったのが、突然「子供とその周り」という世界が一気に広がり、それまでいかに上手に全てをコントロール下において華麗に生きてきたとしても、あっと言う間にカオスに飲み込まれてしまいます。

 

子供を身ごもり、その過程で体や心が徐々に母親になっていく女性とは違い、父親の方はきっと生まれてからの突然の生活の変化に慣れるのは大変かと思います。

 

何はともあれ、親になるという事は、どんな状況であれ、人生が大きく変わる転換期。それぞれの親が、それぞれに大変な思いをしながら、精一杯の愛情を注いで子育てをします。

 

そして、その「大変さ」というのは、ある面「幸せ」であり、ある面「苦痛」であり、またある面は「不安」や「心配」であり、と色々な感情の起伏を経ながら、親は親らしく強く逞しくなっていくのだと思います。

 

数日前、娘と息子を連れて、年に一度の眼科検診に行きました。

当然息子は車椅子。そして、フランスは古い建物が多く、大抵半地下階があるため、入り口は階段になっています。そして、この眼科も例にもれず入口に2段の階段があります。それほどの段差でもなく、幸い段の奥行が広く、一段クリアすれば、一旦車椅子全体を休める事ができるので、介助側にとってみれば楽な方です。なので、この検診に関して言えば、あまり心配はありませんでした。

 

でも、予期せぬ事は起こるものです。

いつもの様に一段目を難なくクリアした所で、車椅子が、押しても引いても動かなくなりました!よくみると、医院の入口の側にゴミ袋が置かれてあり、そのゴミ袋の口を閉じる紐が車椅子の前輪に引っかかっています。

『ちぇっ、今日、ゴミの回収日だったのか…』

「ちょっと、あれ取るから、ちゃんとブレーキかけてよ!」

楽勝気分が、突然のピンチに、一瞬にして緊張!(車椅子で出かけるとよくある事ですが…)

すると、背後からお年寄りの男性が

「大丈夫。ワシがやっちゃる!」と、サッと紐を取り除き、フットワークも軽く私たちの横を通り抜け、医院の入り口のドアまで開けてくれました。

「ありがとうございます!」と息子と声を揃えて言うと、

「何てこたー、ないさ」と、お爺ちゃんは、にっこり。

 

障害を持った子供の親というと、多くの人は「大変でしょうね…」と同情して下さいます。

 

でも、私は、どの親でも大変なのは皆同じだと思っています。

私にとって、「障害のある息子を持つ」という事は彼が診断を受けた時から10年弱、ずっと続く日常であり、極普通の事。もちろん、障害児を持つ親としての特有の心配事はあると思いますが、それも毎日続けば特別ではなくなります。なので、私たち家族は、その他多くの家族と何ら変わりない、いたって普通の家族だと思っています。

 

ただ、一つ違う事があるとすれば、それは、「弱い立場になってみないと分からない他人の優しさや良心のぬくもりを日々実感する事ができる」という事でしょうか。

 

フランスで車椅子を押していると、かなりの頻度で立ち止まらなければいけません。古い道が多くいですから。でも、必ずと言っていいほど、皆さん助けて下さいます。息子には、助けてもらったら、必ず笑顔で元気に「ありがとうございます!」と言うようにと言っています。心を込めて感謝すると、照れ隠しのハニカミ笑顔が返ってきます。二度目のホッコリ。

 

息子、障害児。私、障害児の母。

今日も、私たちは幸せ者です。