手持ち無沙汰な時、温かいお茶のお供にでもして頂ければ、うれしいです。

季節の移ろい

年を重ねる毎に、自然の大きさや力強さに感動するようになってきました。

「私が年老いて、土に返ってしまっても、この大きな木は、これまでのように、少しずつ枝を伸ばし、根をのばし、ゆっくり大きくなって、花をつけ、実を結び、鳥や虫、動物たちの拠り所となりながら生きていくんだろうな」、と思うと、自分のちっぽけさに軽いショックを受けながらも、人間も自然の一部に過ぎないのか、とちょっと救われる気もします。

 

そういう自分に気が付いて、自分が日本人である事を再認識。

きっと、日本の古き良き伝統や考え方は、いつも大きな自然と調和しながら育まれてきたから、

その中で生まれ生きてきた私も、知らず知らずのうちに、そのエッセンスに影響されて、

遺伝子上だけでなく、心も感性も日本人になっていたんだと思います。

 

秋。草木が葉を鮮やかに色づかせていますね。

あまりの美しさに、吸い寄せられて近づくと、

葉っぱ一枚一枚の少しずつ形や色合いが違う様子も、とてもいいものですね。

「秋は夕暮れ。夕日のさして山のはいとちかうなりたるに、からすの寝所へ行くとて、三つ四つ、二つみつなど、とびいそぐさへあはれなり。まいて雁などのつらねたるが、いとちいさくみゆるは、いとおかし。日入はてて、風の音むしの音などいとあはれなり。」(枕草子1段)

日本人は、昔から、仕事の合間、ふと顔をあげて、夕暮れ時、空が沈んでいく太陽に染まるのを見る時、少なからず皆、一瞬肩から上辺り脱力しながら「はぁ、きれいだなぁ。」と、思うのではないでしょうか。ストレスでアチコチ力入り過ぎちゃっている時、ちょっと顔を上げてみましょう。

きれいに晴れ渡る秋の一日、夕焼けに染まる紅葉を見にどこかへ出かけたいな。

でも、たっぷり歩いたら、どこかに座って温かいお茶と甘い物も頂きたい。

やっぱり行楽の秋。食欲の秋。確かもう一つ…。

あっ、ブログの秋…?

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音楽

どんな音楽でも、歌を歌う人、楽器を奏でる人が

心に響くリズムやメロディーを作り出すのを聞くと

「いいなぁ。あんな風に歌えたら(弾けたら)どんなに気持ちがいいだろう!」、と

いつも思っていました。

 

子供のころは、大家族だった事もあり、兄弟姉妹、ことごとく習い事とは無縁でした。

でも兄達は誰かからもらった古いフォークギター一本を使いまわし自分たちで練習して

好きなポップスを弾きながら歌える位になっていたし、

姉も吹奏楽部に入ってで楽譜を読めるようになり、働きだした時にフルートを買って、友達の結婚式で演奏できるぐらいまで上達しました。

だから、私は昔から「いいなぁ。」といつも思っていても、

いざ、独学でもできる所までやってみよう、という程のやる気がなかったという事なのでしょう。

 

大人になって、時々、音楽に周りの風景の見え方を変えたり、

自分でも知らなかった感情を解き放つ力がある事を実感するようになり始め、

音楽の良さを再認識。「いいなぁ。」に、やや力がこもるようになりました。

 

今、親になってみて子供たちが、何の縁か音楽に興味を持ちはじめ

ピアノを習い始めました。段々、上手になるわが子を見ていて、

ようやく「いいなぁ」の域を超え、「案外一から始めれば、できない事はなさそうだ」

という心境に至りました。

 

そこで、子供のレッスン時には、子供より一生懸命先生の話を聞き、一人で練習始めました!

 

飽き性な私も、いう事を聞かない指と、こんがらがる脳みそと格闘しながらも、今のところは、ほとんど毎日、楽しみながらピアノの前に座っています。飽きずに練習してると、中古で買ったふるーいピアノも、時々とってもいい音を出してくれる様になり愛着も湧いてきました。

 

目下のささやかな目標は家族や友達の集まりで、ちょっと弾いて

「えー、ピアノ弾けるってしらなかった。うまいじゃない。他にも何か弾けるの?」

ぐらいのコメントを引き出す事でしょうか。

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いざ漕ぎ出でよ

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ここ数年、ずっとブログはじめてみたいと思っていました。

でも、もともと何をしても長続きしないタイプなので、迷ってました。

 

で、なぜ意を決して始める事にしたかというと…。

友人に赤ちゃんが生まれました。命の輝きが、とにかくまぶしいのです。

私にも子供がいますが、ずいぶん大きくなり

生まれた時の感動はいつの間にか色あせて

今では「一人前の大人に」なってもらうため、あれしなさい、それはだめ、のよく言えば助言、

悪く言えば命令と禁止を繰り返す毎日。

 

人は誰でも生まれてくる時には裸んぼう。

だけど、小さいときに読んだ「青い鳥」のにもあったように、

きっと人は、命が与えられると同時に一つの使命とそれを全うするための才能が

与えられているのだと信じたい。

「とにかく、信じて進むのだ!」、と皆、背中を押されて生まれてきた。

命と一緒にもらった大切な宝物は、まずは生き残りをかけた戦いを勝ち抜くため

大事に保管される。でもその戦いは思いのほか長く続いて

絶対に忘れてはならないはずの、もう一つの宝物は置き場所も何も忘れられてしまう。

 

今、そのもう一つの宝物を探す時がきました。

私の子供たちだけじゃなく、私自身もです。

なぜなら、与えられた使命はとても尊いもので、その使命が果たせなければ

必ずどこかに小さなひずみが起きてしまうと思うから。

 

その使命は、ただ、いるべき場所に、いるべき時間に、ある人の隣に座っているだけの事かもしれない。でも、そこへたどり着くのは簡単なようで至難の業。

今、ここにこの家族と一緒に暮らしているのも奇跡のようなものですものね。

 

何もしないことで、ひずみを起こしてしまわないように。

何もしないことで、今ある調和が崩れてしまわないように。

 

私のもう一つの宝物探しの第一歩を踏み出すため、

そして、その道のりを記すために、このブログを始めてみる事にしました。

 

このブログを書くことで、一見同じことの繰り返しのように見える毎日を

新しい視線で見なおし、新しい発見と感動が感じられるようになりますように。

 

では、いざ、宝物探しの旅に出発です。

皆さんも一緒に出掛けてみませんか。