読書するなら日本語がいい。
言葉が流れるまま心に届くから。
英語は何年も勉強や仕事に使ってきたし、情報収集や情報伝達には役立つけれど、日本語で生まれ育った心とは無視できない隔たりがある気がしている。
本を読むのは好きだけれど、読書に目覚めたのは20代後半。
アメリカに住み始めて数年、院生となり英語漬けの毎日で、日本語で話す際にも英単語の方が先に出てきてしまう状態になっていた頃に読んだ本だった。
潤いをもった情景の中で生きる登場人物をあまりに鮮やかに映し出す日本語の力に押し流されるように一気に読み切った。そして読んだ後は、一気に読んでしまった事を後悔した。もっとゆっくり味わって読めばよかったと。
この感覚は英語で読む時には得られないもので、思いがけず母国語との繋がりを実感できた体験でもあった。
その後、色々読み始めたものの、現地で手に入る日本語の本は行き当たりばったりの物が多く、いわゆる読書好きなら一度は読んだ事があると言われる名著さえ読めていない物が多々ある。フランス在住の現在もこの状況は変わらず、いつまで経っても大っぴらに「読書が好き」とは言えずにいる。
ただ、ここへきて変わった事は、子供たちの学校の課題図書が増えはじめ、英語やフランス語の名著が目の前にある事である。フランス語はまだまだだけれど、英語で書かれた本は読める。そして冬の寒い時期は、出不精に拍車がかかり、パリのブックオフからも足が遠のくので、慢性の本欠乏症。
というわけで、今回は「西部戦線異常なし」の後に中学生の娘に与えられた課題図書を手に取った。軽い気持ちで読み始めたが、これが前回に続きかなり重い内容…。
ノーベル賞作家のウィリアム・ゴールディング作「蝿の王」
ゴールディングは退役軍人だったそうで、これは人間の内に潜む悪をテーマにした作品。主人公は少年達なので、やはり中高生向けに書かれた物語なのかもしれない。
突然無人島に放り出された年齢6歳から12歳位までの少年たちが救出を待ちながら島で暮らしていく話なのだが、こういった設定で読者が期待するドキドキハラハラのハートフルな冒険物とは全くの別物で、思春期の入り口に立った位の子供たちの中でさえも、いかに悪が力を付け善を切り捨てのさばっていくかを、少年たちの残忍さと共に描き出している。
恐ろしいのは、元々闇を持った少年たちだけではなく、彼らを自ら選んで付き従っていくその他の子供たち。良くない事とはどこかで気付いていながらも、力のある悪に対して抗う事なく吸い寄せられて、いつの間にか悪と一体化してしまう。
寄らば大樹の陰?本当にそれでいいの?
子どもたちには考えてほしい問いだな、と納得した。
ただ読後に思った事は、
寒いけど、面倒だけど、それでも…
デモがなくて晴れてたら、ブックオフに行きたいな、でした。