手持ち無沙汰な時、温かいお茶のお供にでもして頂ければ、うれしいです。

皆さんは、最近、泣ける事はありましたか?

大人になると、泣く事ってあまり無いですよね。

小さい子が泣く時は、痛い時、驚いた時、伝えたい事がうまく伝えられずもどかしい時、寂しい時、不安な時、欲しい物が手に入らない時などなど、色んな理由があります。泣く頻度も多く、日に何度も泣く事だってしばしば。

でも子供時代を終えて思春期を迎えると一気に泣く頻度が減ります。あの頃の涙は、悔し涙や、嬉し涙、感動の涙が多かったかな。そして体の成長と共に自分以外の人や話にも感情移入できるようになって、物語や映画に感動したり、人の話に同情して泣いたりもするようになります。

そして成人。まだまだ青かった20代の頃に流した涙と言えば…、泣いた記憶はあまりないけれど、思春期の頃とあまり変わらなかったような。恋愛はしましたが、出会いも分かれも極自然で、激しく泣いた覚えがありません…。そう言えば、若い頃はあまり悲しい事や思い悩む事、落ち込む事って殆どなかったなぁ。友達も家族も大抵は元気で明るかったし。

30代~40代と、「まだ若いから」と言っていられなくなった大人になってしまった今。結婚して、子供が生まれて…、考えて見ると、新しい家族ができてから流した涙は、自分のためだった事が殆どないように思います。自分の存在が、それまでは自分のためだけだったのが、妻になり、嫁になり、母になって、自分以外の人のためにも生きるようになったからでしょうか。

でも、自分の家族ができて、何よりも大きく変化したのは、初めて親を思う娘になった事。

私が当たり前のように家族に注ぐ愛情。それは、心を幸せで満たし、溢れ出ます。でも、その幸せは与える幸せであって、受ける幸せとは違います。今分かるのは、自分の事を無条件で愛してくれるのは、親以外には無いのではないか、という事。もちろん旦那も子供も私を必要としていて、それは甘えにも似ているけれど、確かに或る意味、愛着であり愛情だと思います。でも、それは、私を大切に思い、何の見返りが無くても、バカな事をしても、いつも心を尽くして思いやってくれる親の愛情とは違う。

父は80を過ぎており、母もついこの間75才になりました。

父は50代の頃から色々な病気をしたけれど、いいお医者さんのお陰で何度も命拾いをして、今は元気でいます。母は長年胃弱に困らせられていたけれど、ピロリ菌を退治してからは、随分元気になりました。

でも、二人とも高齢である事には変わりなく、永遠に生きられる命はない事を知っているからこそ、遠く離れて暮らす私としては年々心細さが増します。

私の事を手放しで愛し、いつも気に掛けてくれる両親の存在は、私にとって安心して甘えられる唯一の存在です。大きすぎるほどの心の支えです。

 

その二人が何と先日私たちを訪ねてフランスにやってきました!

英語はもちろんフランス語なんて片言も話せない高齢の両親が二人きりで長旅をするというので、私も兄姉妹もドキドキハラハラ。でも当の二人は大して心配している様子もなく、航空会社の方の助けを借りて悠々とフランスに到着!

 

でも、両親の側で楽しく過ごした10日間は、容赦なく過ぎ去り…、その間、親の愛情に包まれてすっかり娘に返った私は、両親を空港で見送った後、自宅までのバスの中、電車の中で、とめどなく流れる涙をどうする事もできませんでした。

久々の涙。大好きな両親との別れの切なさ、残される寂しさ、健康で長生きしてほしいとの願い。

でも、これでまた私の「娘である部分」は涙に潤され、愛で充填され、これからの妻であり母である私の元気と、やる気と、勇気の源となっていくのだと思います。

おかげで、今朝も早くから庭仕事できましたよ~。腰は痛いけど。

 

What can you do to promote world peace?

Go home and love your family.

世界平和のために私たちにもできる事って何かって?

家に帰って家族を愛しなさい。

― Mother Teresa マザー・テレサ

 

早く皆で日本に会いに行けるようにお金貯めなくっちゃ。