手持ち無沙汰な時、温かいお茶のお供にでもして頂ければ、うれしいです。

半引きこもり生活、脱出記念(2)

イチロー選手が野球大会に出場した子供達に贈った言葉。

「自分の中の限界+ちょっとだけ頑張る」

これを続ける事で思いもよらない自分になれる。

number.bunshun.jp

そして、隠居系男子さんのブログの中では

「努力をする」ではなく「努力してる風に見えるけど、本人はただ楽しいから没頭してやってる」、というのが今の時代に求められているセンスを生み出す鍵だとか。

 

inkyodanshi21.com

私は、フランスという異国の地で、焦燥感に押されて、ようやく活動を始めたわけですが、

下手くそなフランス語と少ないコネで、全てが順風満帆で進むわけがない事は、よ~くわかっています。アメリカでも、英語がある程度不自由なく使えたにも関わらず、何事も始める時は大変でしたから。

…と考えると、何かをしようとする時に「言語能力」を理由に「できない」とするのは間違いなのかもしれません。だって、私が日本にいたとして、これまで3年間、半引きこもり状態だったとします。その状態を脱出して、いきなり少人数の前とは言え、公の場に立つ、というのは簡単な事ではないと思います。

という事は、「フランス語が上手くない」という事実は、単に「乗り越えるべきハードルをほんのちょっと高くする」という事に他なりません。もちろん、ほんの数センチの高さが、足をひっかけて転んで、顔面傷だらけ、という惨事につながるかもしれません。でも、ハードルは何も全速力で走って飛び越える必要は全くありません。気を付けて跨いだっていいわけだし、股下の長さとハードルの高さを比べて、どう考えても跨げないと思えば、高底のブーツを履いてもいいわけだし、ハードルが壁位の高さがあるんだったら梯子を使えばいいわけです。そう考えれば数センチ高さが変わっても大した差ではない。

なので、行きつくところは、実は、障害=ハードル、ではなく、障害=越える価値のあるハードル、という事です。

大変な思いをして、そのハードルを越える事自体、楽しいのか、面白いのか、ワクワクするのか、ドキドキするのか、スリリングなのか、生きがいを感じられるのか。そこだ、という事です。

 

さあ、では現実問題に戻ります。4回シリーズでいくと決めた、第一弾のテーマは、指定されたお題の「折り紙」でした。

 

たった1時間半の日本文化講習会の準備と実施に、どれだけの時間とお金と労力がかかる事か!!そしてこの頼りない講師のサポート役の方々にどれだけお世話になってしまった事か!!!

 

でも、やってみた感想は…

「わ~。やって良かった~。皆さん来てくれてありがとう~!!(ウルウル、(´Д⊂グスン)」でした。

 

当日は、「この講習会のために買ったプロジェクターの費用分だけでも取り戻さないと。」などという現実的な考えは頭からすっ飛び、感極まって、参加費はいりませんと言ってしまったほど。

 

何十時間もかけて準備をしたプレゼンが、多くの人のサポートがあって実現したプレゼンが、誰かのひと時の楽しみにつながり、誰かの日本文化への興味をふくらませ、美しい日本の良さを少しでも参加者の方々と共有できた事の喜びが、とにかく溢れんばかりに心を満たしてくれました。

そして、この何十時間の準備過程で学んだ事の多かったこと!たかが折り紙、されど折り紙。今回は和紙の事も勉強して、紹介させてもらいましたが、こちらも知れば知るほど素晴らしい。日本の事をよりよく知る機会にもなりました!

 

ちなみに、この日、前日予約は何と1名!(いったいどうなる事かと、ドキドキ…)そして当日、予約無しで来てくださった方は3名、そしてサポートの面々2名の計6名。予想の6倍の動員数でした!

自己満足度はフルの100%でしたが、参加して下さった皆さんの感想もやはり気になる所。でも、こちらも幸い良好でした!

 

という訳で、このハードル、私にとっては「乗り越える価値ある障害」にめでたく認定されました!

第二弾は「歴史が育んだ建築美」。こちらも大変そう(ウフフ)