手持ち無沙汰な時、温かいお茶のお供にでもして頂ければ、うれしいです。

半引きこもり生活、脱出記念 (1)

フランスへ移住して早3年が経とうとしています。

こちらへ来てからというもの、フランス語が全く上達しないという事もあり、仕事と言えばアメリカで13年前に始めたフリーランスの英日実務翻訳を細々と続けるのみ。家事と子育てと庭の草むしりはしていましたが、子供の学校の送り迎えと買い物以外は外出しないという、半引きこもり状態が続いていました。

最初は良かったんです。だってアメリカでは、毎日がとにかく忙しく、朝起きたらすでに疲れているという日が殆だったから。

で、縁あってフランスに移住してからは、翻訳の仕事もまばらになり、自分の好きな事に使える時間が一気に増えました。最初の数か月はパリに住んでいたので、語学学校に通ったり、街中を散歩したり、マイナーな美術館に入ってみたりと物珍しさも手伝ってチョロチョロ動き回っていました。でも、パリは流石に家賃も物価も高く、そう長くは暮らせる場所ではありませんでした。そこで観光客気分に終止符をうち、郊外へと引っ越し。そして今は歩いて行ける距離にはパン屋一つない人里離れた田舎町へ。

子供達の学校が始まり、私はと言えば、空いた時間をネットの動画を見たり、ゲームをしたり…。でもしばらくすると、

「このまま、ここで、こうやって毎日を送って、…気が付くと、お婆ちゃんになっていたら、どうしようっっ…!!」

と焦りだしました。この焦りが、去年の夏以降、だんだん幅を利かせるようになり、

「何かしなっくっちゃ。何ができるだろう。」と悶々と悩む日が多くなりました。

そして、前から気になっていたブログを開設。ただ、何かしたい、というだけで、これと言って、発信したい事があるわけじゃありませんでした。

でも、ブログを始めてからというもの、毎日に張り合いができて、綺麗な景色をみると、「ブログに貼ろう!」と、わざわざ車を止めて、歩く事もしばしば。

何よりも自分の気持ちや考えが、言葉に表す事で、だんだん輪郭のあるハッキリしたものになってきました。まず、分かった事は、自分は日本が大好きな日本人であること。やりたい事は、日本文化や日本語を通して、より多くの人と交流をする事。

そうこうする内に、早くもチャンス到来!

こちらで入っている、小さな日本人会が、市管轄のカルチャーセンター内の小さな教室を無料で使える事に。その教室をどうやって使っていくか、話し合いましょう、というミーティングに参加しました。あれは去年の11月。

私はどちらかというと新参者なので、別に活発に意見を出そうと意気込んで行ったわけではありませんでした。でも、行ってみると参加者は何とたったの7名。で、ミーティングの内容はと言えば「話し合い」などではなく、「割り当て」でした。

「では向こう3カ月の予定立てていきましょう!」

『えっ、7人で、週2の枠を3か月分…???』(←『』内は心中、焦りのつぶやき)

「はい、○○さん、~のクラスできるんですよね。いつがいいですか?」…的な。

で、当然のように順番は巡り、私の所へ。

会長:「で、○▽さん(←私)は、この間、どこかのカフェでお点前披露されたんですよね。じゃ、茶道のクラスと、…」

私:「いや、あのぉ、クラスって…。免状持ってるわけでもないので、教えるのはちょっと…」

会長:「大丈夫、大丈夫。チラッと紹介する程度でいいですから。」

『…って、1時間半もフランス語で…?チラッと…?間が持つわけがないじゃん』

会長:「じゃ、何日がいいですか?」

私:『えっ。もう決まりなわけ…』

「あ、あの…。じゃ、茶道のクラスとかじゃなくて、日本文化の紹介みたいなのは、どうですか。」(←ブログで書いていた影響)

会長:「そう。でも、日本文化っていっても色々あるわよね。どんな事を考えてらっしゃるの?」

私:「そうですね。茶道も含めて日本の伝統文化とか、あと、ユネスコ世界遺産に指定されてる、日本の名所巡りとか…?ちょっと日本語のレッスンも絡められると面白いかもしれませんね。」(←つい、調子に乗ってしまった私。)

会長:「それは、おもしろそうですね。じゃ、○▽さん、テーマ別に4回位入ってもらいましょうか?

私:「4回…!?」

というかなり強引な流れで、講習会を開く事に。そして初回のテーマも「折り紙」とのご指定を受けました…。

さぁ、どうなるか。何はともあれ、始動です。

この先には何が待っているのでしょう。

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