手持ち無沙汰な時、温かいお茶のお供にでもして頂ければ、うれしいです。

兄弟姉妹

私はベビーブーマ時代の大家族に生まれ、兄や姉が高校を卒業して家を出るまでは、自分の自由になるスペースも静かな時間もありませんでした。時には喧嘩をして泣かされたり、あまりの人口密度の高さに酸欠状態に陥る気がしたりしたほどです。ですが、今から思えば、根底には大きな家族愛があり、寂しさや孤独感を感じることなく育ちました。大学に入ってからは、家を出たものの、アメリカ暮らしという事もあり、安全と家賃を低く抑えるためにルームメイトと暮らしていました。ただ、学生時代最後のルームメイトは付き合っていた人と半同棲状態で家には帰ってこず、ほとんど一人暮らしの状態が1年以上続きました。そうなると断然人恋しくなり、人の気配のない部屋にいる事が耐えられず、見もしないテレビをいつもつけっぱなしにしていたのを覚えています。

そしてあの若く麗しい時代(?)はあっという間に過ぎて、結婚し、働き、長男が生まれました。退院して、授乳とオムツ変えで寝不足が続く毎日でも、なぜか常に「あー、もう一人欲しいな」と考えていました。きっと、大家族で育った私には、兄弟姉妹がいる事が極自然だったからかもしれません。まぁ、旦那の方は、相変わらず仕事中心の生活で、育休中だった私が家事も育児も担っていましたが、どういう理由からか大変がって、すぐに「もう一人」とはなりませんでした。

そして息子が2才を過ぎた頃から病気の症状が出始め、原因が分からなかった事もあり、二人目は先延ばしにしていました。4歳で診断を受けた時には、主人も私もお互いに遺伝子の欠陥があり、4分の1の確率で、生まれてくる子供は同じ病気を発症すると知り、一旦は諦めようと決めました。親が良くても、病気を抱えて生きていくのは子供ですから。

でも、この考えが変わる出来事が起きます。

 

日本に短期滞在していたある日、義母が体調を崩し病院へ。その頃息子は4歳半。不自由ながらもまだ歩いていました。義母が診察前に血圧を測ってもらい、体重計に乗ろうと靴を脱ぐ際、体調が悪かった事もあり義母は少しふらつきました。それを見ていた息子はお婆ちゃんを助けようと、不自由ながらも歩いて行ってお婆ちゃんに手を貸し、靴を履きやすいように揃えてあげたのです。

義母は感動し涙ぐんでいました。

 

障害があるなしに関わらず、生まれてくる命には役目があるのだと感じました。

 

その夏、私たちは二人目の子供を授かりました。

そして、息子は5歳でお兄ちゃんになりました。幸いなことに、娘は健康です。検査で、健康だと知らされた時、お医者さんの前で不覚にも涙が溢れだし、暫くとまりませんでした。どんな結果でも、取り乱さないと覚悟していたのに、当たり前に、健康で生まれてくる事の素晴らしさと奇跡に胸を打たれたのです。健康、一番の宝物ですね。

 

あれから8年。息子は今では車椅子です。兄妹は大の仲良しで、13才の息子は、今でも時々8才になる妹のおままごとに付き合ってワイワイ楽しそうに遊んでくれています。娘はお兄ちゃんの手となり足となり、頼まなくても自然と息子を助けてくれています。そして息子は「僕はこのままでいいや。みんな優しくしてくれるし。」と言っています。あー、つくづく幸せ者です。

言っておきますが、もちろん二人とも天使ではありません。喧嘩もしますし、親のいう事を聞かないこともしょっちゅうです。でも、私はこの二人の母親に慣れた事がとても幸せです。

 

There are only two ways to live your life. One is as though nothing is a miracle. The other is as though everything is a miracle. -Albert Einstein

生き方には二通りの道しかない。一つは奇跡などありはしないように生きる事。もう一つは全てが奇跡であるかのように生きる事。