手持ち無沙汰な時、温かいお茶のお供にでもして頂ければ、うれしいです。

新しい命

親から子供へと脈々と受け継がれていく命。両親の遺伝子が掛け合わさり、新しい命が息づき始める神秘。何十億年と繰り返されてきた、ごく当たり前の自然の摂理だとは言え、やはり背後に大きな力を感じます。

 

日本人は昔から何気なく神社やお寺にお参りにでかけますよね。きっと、私たちは色々な事象にはたらく「背後の大きな力」の存在に敏感なのだと思います。

 

「世の中、人の力ではどうしようもない事が多々起こる。だから、私たちの力の及ばない所はやはり神様にお願いしておきましょう。」、という感覚でしょうか。

いい恋人や伴侶が得られるようにと、縁結び祈願。

家族ができたら、家内安全、無病息災。

子供が欲しくなったら、子宝祈願。

無事授かったらもちろん、安産祈願。

そして赤ちゃんが生まれたら、初お宮参り。

その後も初正月に初節句、七五三など、節々でお参りに出かけますね。

 

でも、日本人のいいところは、願った事が叶わなくても、「お賽銭けちりすぎたかな…」、ともう一度お参りに行くことはあっても、決して「何でお願いしたのに聞いてくれないの!」などと神様を恨んだりしないところだと思います。そして願いが叶えば、できる限りお礼にお参りに行き、これからの事もお願いする。

 

私の場合、息子を授かったのは29才の時でした。

アメリカに住んでいたので、もちろん願懸けとは無縁でした。

それでも、妊娠中は産婦人科でもらった本や、図書館で借りた本などを読みあさり、

お腹の中の赤ちゃんが元気に育ってくれるよう祈りを込めて、食べ物や飲み物に気を配り、運動嫌いも何のその、仕事が休みの日も、天気のいい日は散歩に出かけるなど努力しました。

 

そして息子は予定日きっかりに「準備完了!これから出ていきますよ!」、と信号を出して、翌日、それも5月5日の子供の日に、元気に生まれました。57cmの3750g。それはそれは堂々とした赤ちゃんっぷりでした!

「私たちの所に来てくれてありがとう!」と感謝の気持ちで一杯になった事、忘れられません。

息子は、少なくとも4分の3は旦那似で、本来イクメンとは程遠い性格の彼もメロメロでした。旦那の小さい頃の面影を息子に見た義母もすっかりトロケテました。私の家系から受け継いだ特徴と言えば、タップリの髪と少し切れ長の目。

 

でも両親の生まれ持つ数えきれない程の遺伝子の中から子供に受け継がれる遺伝子は、いい特徴も、悪い特徴も関係なく無作為に選ばれるんですよね。親も子供も、受け継ぐ遺伝子を選ぶ事はできません。

 

私と旦那、二人の遺伝子には同じ欠陥がありました。ですが、この遺伝子は劣性遺伝なので、私たちには症状が全くありません。ですから、お互い、自分にそんな遺伝子がある事は、知る由もありませんでした。でもその劣性の遺伝子が4分の1の割合で掛け合わさった時に、病気が発症します。

 

息子は自分で選んだわけでもなく、10万人に一人という難病を抱えて生まれてきました。そして、この病気と共に生きて13年。息子にとっては毎日が挑戦の繰り返しです。健常な子供であれば思いもよらない事が難しいのです。

大変な事を数えたらきりがありませんが、それでも息子は幸せ者だと私は思っています。多くの人の助けを借りていますが、学校へも毎日通い、好きなアニメを見てはガハハハッと大声で笑い、友達とゲームの話で盛り上がり、虫歯ゼロの強い歯を持ち、ギリシャ神話のマニアで神様の家系図も描けてしまうほどの記憶力があり、数学でも100点が取れて先生に褒められるなどなど。毎日いい事があって、結構楽しんで生きているのが分かるんです。

 

だから、当たり前の幸せに鈍感になってしまい、「何もいい事がない…」と気持ちが沈むとき、願懸け無しで恵まれた色々な事に目を向けてみて下さい。

 

例えば、紅葉の秋。紅葉狩りに出かけて、これはと思う一枝を、何とはなしに腕を伸ばして掴み、そっとたわませて顔のそばに寄せて、綺麗に色づいた紅葉と写真を撮る。落ち葉の美しさに感動して、しゃがんで一枚拾い上げて、持ち帰る。

これだけの動作にも、関節が働き、筋肉が働き、神経が働いています。

普通に、当たり前に、正常に働いています。

息子にとって、それは待ち望む奇跡です。