手持ち無沙汰な時、温かいお茶のお供にでもして頂ければ、うれしいです。

あんぱん

いつも当たり前に食べている物が突然食べられなくなってしまったら…

そんな事を考えた事はありますか?

例えば、コンビニで時々買うコーヒーゼリーや、スーパーで買う大福。

豆腐、こんにゃく、たらこでも、納豆だっていいんです。

 

毎日食べなくても、食べたいと思えば、いつでも買える。

そんな物が、はるばる遠くまで行って大枚をはたかないと手に入らなくなってしまったら…。

 

実は、私、現在外国暮らしをしております。

言葉の不自由さもそうですが、一番辛いのは懐かしい味を切に求める舌です。

口です。お腹なのです。

 

一度「あぁ、あんぱんが食べたいな~。」、と思ったとします。

日本にいる時、あんぱんのファンだったわけでは決してありませんよ。

でも、一度「あんぱん」の存在を意識した舌は、

1.電車で1時間以上かけて、街中へ出ていき

2.地下鉄を乗り継いで、

3.ようやくあんぱんが買えるお店に行っても必ずあるとは限らないし、

あっても確実に日本の3倍位の値段はする、

という、とっても不便な事実にも関わらず、翌日も、その翌日も

「あああああああ、あんぱんが食べたぁぁぁぁい!!!!」、と

徐々に増大する理不尽な欲求が、私を苦しめるのです。

 

そして、症状がいよいよ悪化してくると、買い物に行くたびに

「小豆さえあれば、それであんこが作れる。あんこさえあれば、あんぱんが作れるじゃないか。そう。小豆、小豆、小豆…」と、半分祈るようにお豆のセクションを何度も注意深く見るようになります。

 

そして、数か月苦しんだ、あれは確か今年の春先です。

たまたま入ったオーガニックの商品を取り扱うお店で、

とうとうAzukiを見つけた時の喜びは格別で、自分でも驚くほどでした!

そして、小さな小豆がくれた幸せは秋を迎えた今も続いていますよ。

だって、あんこさえあれば、あっという間に和のおやつができるんですから。

「嬉しさや 大豆小豆の 庭の秋」村上鬼城

 

次が、あまり難題ではありませんように。

 

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