手持ち無沙汰な時、温かいお茶のお供にでもして頂ければ、うれしいです。

芸術の秋

私の父方の祖父は、若くして亡くなったので、会った事はありません。

でも母の話によると、祖父は、小さい頃から絵を描くのが好きだったそうで、

どうしても画家として暮らしを立てていきたいと、16か17才の時、地元出身の有名な日本画家の門を叩きました。

 

「弟子入りさせて下さい!」

「ふむ。何歳になる?」

「16です。」

「ふむ。で、これまで誰の下で勉強してきた?」

「あ、あの…、画家先生にこうしてお願いにあがるのは今回が初めてです。」

「何?それじゃ、だめだ。年をくいすぎとる。」

「で、でも…」

ピシャッ

、と無下に門前払いを受けてしまいました。

 

それでも、町では「○○君は絵もうまいし、字もなかなか」というのは知れていたようで、商店の看板や広告を書いたり、表札を書いたりしながら生計を立てていたそうです。

 

その影響からか、父も絵が上手でしたし、書初めのお手本などもよく書いてもらいました。

で、私は、と言えば、子供の頃、何事にも熱中して取り組んだ覚えは…ありません。「やれば、できるのに」、と、周りの大人にあきらめ気味に言われても、

「春の海 ひねもす のたりのたりかな」蕪村

陽光に温められた、穏やかな海の水に、ぷっかりと浮かんでいる感じでしょうか。

大きな悩み事もなく、きっと幸せだったんでしょうね。

 

自分を発見したのは専門学校時代。

中学、高校とまったく勉強しなかったので、第一志望の大学には当然のごとく落ちて、浪人して翌年また挑戦したいという強い意志もなく入った専門学校でした。

でも、その学校が私にはとても合っていて、先生方は「何事も最初はできなくて当たり前。スタート地点は皆ゼロ。そこから頑張れは、その分だけ必ずプラスになる。」というスタンス。入学時点でゼロである事を許してくれたのです!

あの二年間は、人生で初めて自分の意志で勉強し、自由に楽しみながら興味の幅を広げられた時期でした。その頃、初めて父と二人で国展に行きました。美術関連の本も開いて見るようになり、ゆっくりと絵画の面白さが見えてきました。

あくまでも、個人的な感想ですが…

 

例えば、京都のとある石庭を前に誰かと座っているとします。

「あの岩、何かに似てるよね…。あー、龍だ!ね、龍の頭!見える?」

「えっ?どれ?」

「あの右から、1つ、2つ、3つ目のあれ!ほら、あのくぼみが目で、あの上の尖ったところが角で…。見える?」

「うーん…。っていうか、どっちかというとウサギ、じゃない?」

 「ウサギ…???」

いくら、趣味の合う仲のいい友達でも、大好きな恋人でも、その人の目に何がどんな風に見えているかは、分からないものです。

それはきっと、脳が画像を処理する時に、これまでの経験や知識、その日の気分や天気、その時に聞いている音楽など、とにかく色んな事が影響するから。

 

それを垣間見る事ができるのが絵画だと思うのです。

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いいなぁ、と思う一枚の絵の前に立つ時、その画家のモデルやモチーフに対する思い、

画家としての挑戦、絵に込めたメッセージ、画家のこれまでの人生などに思いを馳せ、その物語を感じる事ができるんです。そして、なぜその絵に自分が魅かれるのか、自分とも向き合えます。

 

芸術の秋。秋晴れの日に、美術館というのもなんですが、自分だけの名作を探しに出かけてみませんか。大きな美術館に行くと、思ったより歩くので(階段を使いましょう!)軽い散歩より運動になるかもしれません。