手持ち無沙汰な時、温かいお茶のお供にでもして頂ければ、うれしいです。

「絵ぐらい誰にだって描ける」と言うのは本当か?

皆さんは美術館とか、行きますか?

私は好きなんですよね~。

 

特に自分が生まれる前に生きていた人たちが作り出す芸術品には、自分の目では見る事のできない、けれど確かにあった過去が生きいきと映し出されている小さな窓の様な物だという気がしています。

 

とは言っても、芸術と深い関りのある、歴史や神話、宗教、文学、地理などなど、とにかく知識と教養に大きな穴がボッコボコ空いているため、もちろん細かい所を理解しながら鑑賞するという高尚なものとは程遠く、知識が足りない所は大胆に感覚と想像力とで穴を埋めながら見ていきます。まぁ、人様に解説したり、説明したりするのが仕事ではないので、あくまでも自己満足の世界ですね。

 

この独り善がりの美術鑑賞趣味ですが、これがフランスへ引っ越してきてから少し変わってきました。こちらでは、ルーブル美術館のような立派な美術館で見る事のできる誰もが知る有名な作品から、アマチュアアーティストが趣味で創作して蚤の市で売っている様な物まで、とにかく色々なアートに触れる機会があります。私の数少ない知り合いの中でさえ、創作活動をされている方が5人もいるんですから!

 

名品を見ている時は、ため息交じりで「何て…」とうまく形容する言葉も見つからないまま、作者の創り出す作品の中にしばし漂うのが常。でも、あちこちで立つ市などで見かける作品は、自由で、楽しく、親しみやすい。「何じゃこりゃ??」と用途も分からなければ、モチーフさえも分からない様な変な物さえありますが、それも立ち止まる人の微笑みを誘っているのです。そうこうする内に「これだったら私も…」と大それた事を考えるようになりました。

そう、アートの基礎さえ全く勉強したことのない私に、何と創作意欲らしきものが芽生え始めているのです。

 

以前にも落書き程度のお絵描きはしていましたが、ウズウズする気持ちが春の陽気の下の花々の蕾のように膨らんできちゃって、「この気持ち、どうしよ~」、という所まできています…。

 

そう。寒かった冬。風邪を引いたり、腰を痛めたりして、休みと言う休みを完璧なまでに冬眠して過ごした冬。

 

そして、ようやく気温が上がり始めて、春がそこまで来ている今…皆さんは、何か新しい事、始める予定はありますか?

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天才的才能なんて、なくて当たり前。でも、もしチルチルとミチルが言っていたように、神様が全ての生まれてくる命に才能を与えてくれているとしたら…。知らないまま、人生を終えるのは残念ですよね。

 

私の心と手は何かを創り出したがっています。

という事で、まずは、アートの基本と思われる(お金のかからない)お絵描きから始めてみる事にしました。娘のために以前買ったスケッチブックを手に取り、子供達の鉛筆と消しゴムを拝借し、一つ心を込めて何か描いてみます。

ぎっくり腰=強制休養

先日、長引いた半引きこもり生活後の社会参加が、週にたったの2時間という極僅かな就労時間にも関わらず、今の私にとって如何にキャパ越えだったかについて書きました。

 

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そんな中、何とか気力で前進を図ろうとしていた私に急ブレーキがかけられました。

 

そう。今思えば、身体と心は「休ませろ信号」を出していました。

動悸、息切れに抜け毛。身体のだるさやふらつきなど。

にも関わらず、私は「こんなにダラダラしてちゃいけない!」とか「倦怠感は怠慢のあらわれだ!」とか、一体何のためなのか闇雲に自分を叱咤激励しながら、甘い物を大量補給しつつ、ここ数カ月やってきました。

 

でも、私の尋常ならぬ様子を見ていた主人がとにかく一度健診を受けた方がいいと(しつこく)忠告し続けてくれたお陰で、嫌々ながらもお医者さんへ行くことに。フランスへ来てから健診は一度も受けていなかったので、まずは基本的な血液検査から始める事に。

結果は重度鉄欠乏性貧血。鉄剤を処方され、念のためその他諸々の検査もしてもらう事になりました。

 

ただ、この間も日常は続く訳で、こなすべき仕事量や感じるストレスの量は変わりません。でも、こればかりは、どうしようもない所もあります。事実、子供たちの母親は私しかいないですし、週1の日本語のクラスは社会復帰の足掛かりです。フランス語のクラスだって、「えっ、今何て??」域を脱するには欠かせないんですから。

疲れを感じながらも、「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせながら頑張ってました。

 

そして、子供たちの学校が休みに入った先々週の週末、「これで2週間、少しはゆっくりできるかな」と気を抜いたと同時に腰にピキーンと激痛が走り、歩く事さえままならなくなりました。やむなく主人には翌日から入っていた出張をキャンセルして、家にいてもらう事に…。

 

最初の丸三日はお手洗いに立つ以外はベッドで生活。その後少し動けるようになってからも座る事はできず、次の二日間も立ってできる必要最低限の家事をする以外は、ほとんどベッドで横になっていました。

5日間。皆さんだったら寝転んで何しますか?

私は、ダウンロードしっぱなしだった青空文庫の本を読んだり、音楽を聴きながら余っていた毛糸で椅子のカバーを編んだり、フランス語の基礎を復習したりと、とにかく、自分がしたい事を自分のペースでやってました。そして、案外これが楽しかった!!f:id:yamatopiece:20180226220641j:image

 

実はアメリカに住んでいる時は、原因不明でしょっちゅう腰を痛めていて、少なくとも3か月に1度は整体師さんのお世話になっていました。腰痛解消のために、ヨガや運動もしましたが、それがもとで痛みが悪化した事もあり、どうしたらいいか分からず途方にくれていました。

 

それが、フランスに来てからの4年間、ぎっくり腰はたったの一度きり。それも引っ越しで腰を酷使した後だったので、原因もはっきりしていました。

 

あれから3年半、運動不足には拍車がかかっているというのに、長年腰痛に悩まされていたのは嘘のように痛みの無い平穏な日々を送っていました…。

なぜか??考えて見ると、この腰痛から解放されていた日々は、ある時期と重なるんです。そう!何を隠そう、半引きこもり生活の間です!

とすると、私の腰痛はストレスと疲労のバロメーターなのかもしれません。

 

身体や心の「要休養」信号を察知していても、上手に自己制御できない私のような性格の人間には、痛い目に合わせて、強制的に休養を取らせる、というメカニズムになっているようです。

 

1週間の強制休養後の今日、久々にコンピュータの前に座ってます。コルセットはしていますが、座っていても、(まだ)ほとんど痛みはありません!そして何より、気分が爽快です。

 

ぎっくり腰や貧血は、もちろん無いに越した事はありませんが、幸い命に関る大病ではありません。皆さんも、毎日頑張り過ぎていませんか。無理していませんか。疲れた時やストレスを感じる時は、とにかく立ち止まって一息つきましょう。

 

私の様に身動き出来なくなってしまったり、はたまたもっと深刻な病気で寝込んでしまったりする前に、身体と心からの信号を感じたら、無視したり、ごまかしたりせず、自分をいたわって、甘やかしてあげましょう。

あっ、でも甘い物の食べ過ぎにはご注意!

私は3キロ増えて、太り気味から肥満圏内に突入しました。

ダイエット再開せねば。

遺伝子治療AVXS-101

以前に当ブログで紹介した遺伝子治療AVXS-101の2018年1月に終了したフェーズ1臨床試験の結果概要がAveXis社とのインタビューで明らかにされました。

 

yamatopiece.hatenablog.com

 

被験者のSMA1型の幼児全員が生後20カ月時点で存命中であり、特に高用量での治療を受けた子供たちには、顕著な改善が見られたとの事です。具体的には高用量での治療を受けた子供達12人の内11人が一人で座れるようになり、9人は生後20カ月で寝返りを打つ事が出来るようになり、2名は一人で歩けるようになったという事です。

AveXis社によると、AVXS-101 は安全な事はもちろん、たった一度の治療で生涯に渡り患者の筋肉の萎縮を防ぐ事が可能との事です。また、病気の進行を防ぐだけにとどまらず、被験者には、AVXS-101による治療後、24カ月以上経った現在も、症状に改善がみられているそうです。

 

この結果を受けて、次の段階の臨床試験が計画されており、現在米国で被験者を募集しています。こちらの臨床試験は(STR1VE-NCT03306277)プラセボ群なしのフェーズ3試験で、対象は生後6カ月未満のSMA1型の乳児です。被験者応募の詳細は以下のリンクをご覧ください。

clinicaltrials.gov

また、AveXis社による臨床試験の大部分はSMA1型が対象となっていますが、生後60カ月未満のSMA2型の子供達を対象にした臨床試験STRONG(NCT03381729)も計画されており、米国で被験者募集中です。ただし、STRONGでは低用量のAVXS-101が血管経由ではなく、直接脊椎管に注入される様です。

clinicaltrials.gov

更に、生後6週未満で、SMA1、2、3型を発症すると考えられる乳児を対象にした臨床試験SPRINTも今年中旬に計画されているとの事です。

最後に臨床試験STRONGの結果を基に計画される臨床試験REACHも予定されています。REACHが対象とするのは、生後6カ月から18才までのSMA1~3型までの患者さんで、こちらは多国で実施予定との事です。

 

日々研究にまい進して下さっている研究者の皆様とそのご家族に感謝しつつ、

我が家の息子と同様に治療薬を待ち望む患者さんが一日も早く治療を受けられる日が来る事を祈りながら。

 

今日も皆さんが穏やかに過ごせますように。

 

RG7916臨床試験が日本でも被験者募集

以前ご紹介したRG7916の第2フェーズ臨床試験で被験者を募集しているとお知らせしましたが、SMA2型~3型の患者さんを対象としたSUNFISHに関しては日本でも募集開始予定との事です。

 

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治験に参加予定の医療機関は以下の通りです。

福岡市立子供病院

広島大学病院

兵庫医科大学病院

国立病院機構南九州病院

宮城県立こども病院

滋賀県立小児保健センター

静岡県立こども病院

自治医科大学病院

国立国際医療研究センター病院

国立精神・神経医療センター

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また、新たな経過報告によると、臨床試験が始まってすでに1年以上経過しているSMA1型の幼児を対象としたFIREFISHでは、これまでの所、参加している子供達に深刻な副作用は見られないとの事です。

 

希望する患者さん全てが治療を受けられる日が一日でも早くきますように。

寒い日が続きますが、今日も、患者さんと家族の皆さんが穏やかに過ごす事ができますように祈りながら。

 

 

 

 

 

 

キャパ越え

拙ブログを時々訪ねてくださっている方がいらっしゃる事を妄想しながら、まずは、ご挨拶。

大変ご無沙汰してしまいました。

ブログを始めた時は、半引きこもり生活の真っ最中。

何かしなければ、という焦りが募り手探りで始めたブログでしたが、そのおかげで完全ルーティン化して単調だった毎日から少し外れて、時々道草をしたり、遠回りをしたりするようになりました。

そして、せっかく書くのであれば、何かの縁で、数多あるブログの中から奇跡的にも私のブログを覗きに来て下さる誰かの気持ちを、ちょっとでも上向きにできる事を発信しなければと、勝手にプレッシャーを感じながら過ごす日々は、以前に比べて格段刺激的になりました!

そして、ブログに背中を押されるように外に出るようになると、自然と人と会う機会が増え、中には時々会って他愛もない話をして笑い合える人もできました。出会いは、いつもいい事ばかりとは限りませんが、時には新たな出会いをもたらし、それが生活の転換に結び付く事もあります。

昨年の9月、これから仲良くできたらいいな、と思っていた方が病床につきました。彼女は隣町に住んでいて、近いという事もあり、日本食や体にいいと聞いた物を手土産にちょこちょこお見舞いに行っていました。そんなある日、彼女のお宅で、先生仲間だという方に紹介されました。その方から彼女の日本語クラスを引き継がないかとの話があり、元気になるまでの間の中継ぎのつもりで軽く引き受けました。でも、10月、入院先にお見舞いに行って、「今度はカニ雑炊作って来ますね~」と約束したのが最後となり、その日、息子さんの11才の誕生日を家族でお祝いした後、昏睡状態となり、2日後、亡くなりました。

それから、私は週一で日本語を教えています。フランス語がまだまだ下手なので四苦八苦しながらですが、生徒さん達はみな一生懸命で、楽しく授業を進めています。フランスの田舎町でも日本語を勉強したいと思っている人がいて、その需要に答えようとする団体があり、それらの人の役に立てるというのは本当に嬉しい事です。

ただ予期していなかった事が一つ。半引きこもり生活が長かったせいか、週一で2時間のクラスを教えるだけでも、メンタルキャパシティが一杯一杯になり、日常生活+クラス以外は何も手に付けられない状態になってしまいました。土曜はクラスの後、帰ってきたら夕飯の準備以外は何もできず、日曜も放心状態。月、火、少し回復したところで週末できなかった掃除や洗濯をこなし、水曜、ちょっと落ち着いたかなと思ったら、木曜からは次のクラスの事で頭が一杯…。とにかく、ピアノで遊んだり、お菓子を焼いたり、絵を描いたりする事はおろか、大好きで読者になっている方のブログさえ開く余裕がなくなりました…。

教え始めて数か月、少しずつリズムに慣れてきて、先週、久々にブログの世界へ戻ってきました。好きなブロガーのみなさんのブログを読んで、コンピュータの向こうで毎日頑張ってピカピカ輝きながら生きてらっしゃるのが伝わってきて、本当に、元気づけられました~。

私も、また、少しずつブログアップしていけたらな、と思います。

私の住む地域は、毎冬、雪など降っても1回か2回程度だったというのに、なんと昨日降り始めた雪は、今日になっても降り続き、とうとう一面雪化粧!

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いつも学校へ行きたがらない娘も、真っ白な雪を見て、はしゃいで学校へ行きました。

雪道の運転は怖いですが、喜ぶ子供の笑顔はいいものです。

そして、息子も…、と言いたいところですが、彼は風邪で学校休んでます。

車椅子では、「雪で嬉しい!」とはなかなか言えません。でも、まだ、14才。不安や心配の大部分は親が解消してあげられます。でも心配なのはオトナになってからの事。

障害児か健常児かに関らず、親っていう生き物はいつも子供の将来を心配するもんですよね。

日本もあちこちで大雪。皆さんと皆さんのご家族が、今日も元気で無事に過ごせますように。

半引きこもり生活、脱出(とは、まだまだ言い切れません)

縁=何処をどう辿って、なぜ巡り合えたのか、皆目見当がつかず、偶然なのか奇跡なのか分からないけれど、大切にしなければならないもの(?)

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顔は知っていて、当たり障りのない会話はしても、友達とまでは呼べない人っていますよね。でも、そんな知り合いレベルの人のお陰で、人生に予期しなかった展開が訪れる事もあります。

 

私は、もともと積極的に新しい事に挑戦していくタイプではなく、新しい人と会う社交の場も苦手です。それに加え、基本、脳天気なので、多少の事では悩んだりせず、簡単に現状に満足(妥協?)できちゃうというのも、裏返せば向上心や冒険心に欠けている事になり、何をするにも二の足を踏んでしまいます。

 

ですが、不思議な事に、今振り返ってみると、積極的に自分から行動を起こしている訳ではないのに、徐々に半引きこもり生活から脱出する環境が整えられていきました。つい1年半前までは、子供の送り迎えと買い物、そして週2回のフランス語教室以外、家を出る事は滅多にありませんでした。それが、2016年春、ご近所さんから頼まれて、隣町の喫茶店を盛り上げるために、茶道をテーマに日本文化の紹介をしたのが転機となり、今年の夏までに計3回の講座を開き、そして何と先月からは、お給料を頂いて週一で日本語のクラスを教えるまでになりました!

 

とは言え、何をするにしても、(ちんたら勉強していたので)フランス語力が全く足りず、決まって誰かに背中を押される形でお世話になっています。なぜか、私ごときに貴重な時間を費やして応援してくれる人がいます。 そして、更に不思議な事には、お世話して下さる人たちはあくまで「お世話になっている知人」であり、「友達」と呼ぶにはまだまだ距離感がありすぎる方々です。

 

以前は、「縁」というと、家族だったり、夫婦だったり、恋人だったり、親友だったり、ともっと運命的な強いつながりを指すものだと思っていました。でも、ここへきて気づかされた事は、自分に近い存在の人達だけが「縁」を作り上げているのでは無いという事です。

 

人生、何処をどう辿り、どんな風に誰と出会うかは分かりませんが、自分が意識するしないに関らず、日々巡り合いが繰り返されています。 その巡り合いのお陰で、今、私が、フランスという国の、おそらくは世界の大多数の人が名前も聞いた事のない高齢化の進む小さな村に住みながら、やっと中級に引っかかる程度のフランス語力で、少しずつ社会参加を始めているのです!

どう考えても、自力だけで出来る事ではありません!

 

とすると、奇跡は、何気ない毎日の中に隠れている物の積み重なりなのかもしれません。

 

とにかく、これからは、恵まれた縁を大切にしながら、感謝の気持ちを忘れずに、周りの方々の縁も少しずつでも繋げていけたら嬉しいなと思います。

 

“Do not be afraid; our fate cannot be taken from us; it is a gift.” 

恐れる事はないさ。運は取り上げられたりなどしない。もともと運は贈り物なのだから。         -ダンテ・アリギエーリ

友達

また一つ、命が途絶えました。

大きな時の流れの中では、生まれる命も消える命も、ただ自然の営みの一部で大した事はないのかもしれません。

現に、彼女が逝ってしまった朝も、紅葉した木々は美しく木枝を揺らし、暖かい太陽の光は変わりなく私たちを照らしていました。人々は道を行き交い、信号は規則正しく順々に色を変え、車の中の私も昨日と同じ様に息をしていました。

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でも彼女を愛した家族は今日も涙にくれ、彼女無しでも容赦なく過ぎていく時間と、何事もなかったかのように語らいあい笑いあう街の人々を恨めしく思い、これからどうやって暮らしていこうかと途方に暮れているのだと思います。

何を言って慰めてあげたらいいのでしょう。まだまだ子供の息子さんにはどんな声を掛けてあげたらいいのでしょう。気の利いた事ぐらい言って少しでも悲しみや痛みを和らげてあげたいけれど、そんな言葉はみつかるわけもありません。

私の母は小学校2年生の時に母親を亡くして、お葬式に集まったご近所さんに「寂しいか?」と聞かれ、「寂しくないとでも思ってんのか!?」と心の中で独りごち、腹が立って思わず舌打ちをしてしまったと言っていました。それが後から父親の耳に入り酷く叱られたとか。

そのご近所さんもきっと、幼い子供に何か言ってやらなければ、という一心で発した言葉だったんだと思いますが、発した言葉は反感を買い、子供心を傷つけてしまった…。

家族の悲しみに追い打ちをかけるような事はしたくないという思いが、さらに口を重くしてしまいます。

亡くなった彼女は特に親しい友達という訳ではありませんでした。でも何度かお茶に呼ばれてお宅にお邪魔しましたし、我が家に来てもらった事もありました。一緒に助け合ってささやかな日本文化イベントも開きました。だけど、彼女との他人行儀で当たり障りのない距離感は縮まる事はなく、いわゆるArm-length、腕を伸ばして体を中心に描く円の内側にはお互いに入る事はありませんでした。

でも、お別れ会に参列した時、彼女がいかに多くの人に惜しまれる存在だったのかが分かりました。そして、同時に、「私がこの世を去る時は、こんなに涙してくれる人はいないな。」という思いが心をよぎりました。

去年、友人のご主人が亡くなった時、友人と4人の子供達は周りのサポートがあって、乗り越えられた。やっぱり、残される家族にとっては、故人が多くの人に慕われていた事を知るだけでも、その人の人生が幸多き物だった事の証となり、慰めになるのだと思いました。

私と私の家がフランスに移住してきて早3年。家族以外で心を許せる様な友人はここにはまだいません…。少しバカで脳天気な私は、現状に満足しやすく、根本的には恵まれていると思っていますし、そのせいで、半引きこもり生活を3年近く続けて、物足りなさは多少感じる事はあっても、幸せだなと感じていました。

でも、こうして、知人の死に際して、改めて考えると、やはり友達って大切だなと思います。

人は数えきれない人のお陰で生きています。でも、実際に会う機会のある人はその中でも縁のある一握りの人だけ。そして出会えた一握りの中で、知人からお互いが友人と思い合える人に巡り合えるのは一体何パーセント位なのでしょうか。

一期一会。一つ一つの出会いを大切にしていかなくては。

 

これまでは、「40過ぎると、そうそう簡単には「いい友達」ってできないよねぇ。」という思い込みがあって、そういう相手を探そうともしていなかったように思います。何よりも、「大人として恥ずかしくない振る舞い」を心がけ、周りに「ウザイ」と思われるような行動は極力慎んで…、という標準的な大人の女性を演じるのに気を遣い過ぎて、友達になるためにどうしても必要な積極的なあと一歩が進みだせずにいたように思います…。

とにかく、ピンとくる素敵な出会いがあったら、勇気を出して、素直な自分、自然な自分を見せてみる事にします。そして、いまある友達も大切にしていきます。

皆さん、最近、ご無沙汰している友達はいませんか?

今日あたり、ちょっと連絡してみませんか。

 

Ne marche pas devant moi, je ne suivrai peut-être pas.
Ne marche pas derrière moi, je ne te guiderai peut-être pas.
Marche juste à côté de moi et sois mon ami.    ~Albert Camus~

 

僕の前を歩かないで。ついては行かないかもしれないから。

僕の後ろを歩かないで。君を導かないかもしれないから。

僕のすぐ隣を歩いて、そして友達でいて。 ~アルベール・カミュ~