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少し春めいてきましたね。手持ち無沙汰な時、温かいお茶のお供にでもして頂ければ、うれしいです。

SPINRAZA™ (nusinersen)によるSMAの治療がアメリカで始まりました。

SMA 脊髄性筋萎縮症 子供

昨年末にアメリカのFDA(アメリカ食品医薬品局)により承認されたSPINRAZAによるSMAの治療が今年1月の第2週より開始されたとの事です。

 

また、治療が開始された週に行われたイギリス、ケンブリッジでの学会でSPINRAZAの新しい臨床試験結果が発表されました。

media.biogen.com

発表によると、途中経過結果で期待通りの効果が確認されたため中断され、全被験者への新薬投与へと移行されたフェーズ3試験ENDEARでは、SPINRAZAが投与されたSMA1型の乳児の死亡率、人工呼吸器依存率共に大幅な減少が見られたとの事です。

 

一日も早く、世界中の患者の皆さんが治療を受けられるようになりますように。治療を受けている患者さんの病状が少しでも早く改善されますように。患者さんと、その家族の皆さんが今日も希望を持って暮らせますように。

 

寒い冬の日。人の暖かさ、しみじみ。

子供 思う事 SMA 脊髄性筋萎縮症

親になると、これまで自分とその周りの事を考えて生きてこればよかったのが、突然「子供とその周り」という世界が一気に広がり、それまでいかに上手に全てをコントロール下において華麗に生きてきたとしても、あっと言う間にカオスに飲み込まれてしまいます。

 

子供を身ごもり、その過程で体や心が徐々に母親になっていく女性とは違い、父親の方はきっと生まれてからの突然の生活の変化に慣れるのは大変かと思います。

 

何はともあれ、親になるという事は、どんな状況であれ、人生が大きく変わる転換期。それぞれの親が、それぞれに大変な思いをしながら、精一杯の愛情を注いで子育てをします。

 

そして、その「大変さ」というのは、ある面「幸せ」であり、ある面「苦痛」であり、またある面は「不安」や「心配」であり、と色々な感情の起伏を経ながら、親は親らしく強く逞しくなっていくのだと思います。

 

数日前、娘と息子を連れて、年に一度の眼科検診に行きました。

当然息子は車椅子。そして、フランスは古い建物が多く、大抵半地下階があるため、入り口は階段になっています。そして、この眼科も例にもれず入口に2段の階段があります。それほどの段差でもなく、幸い段の奥行が広く、一段クリアすれば、一旦車椅子全体を休める事ができるので、介助側にとってみれば楽な方です。なので、この検診に関して言えば、あまり心配はありませんでした。

 

でも、予期せぬ事は起こるものです。

いつもの様に一段目を難なくクリアした所で、車椅子が、押しても引いても動かなくなりました!よくみると、医院の入口の側にゴミ袋が置かれてあり、そのゴミ袋の口を閉じる紐が車椅子の前輪に引っかかっています。

『ちぇっ、今日、ゴミの回収日だったのか…』

「ちょっと、あれ取るから、ちゃんとブレーキかけてよ!」

楽勝気分が、突然のピンチに、一瞬にして緊張!(車椅子で出かけるとよくある事ですが…)

すると、背後からお年寄りの男性が

「大丈夫。ワシがやっちゃる!」と、サッと紐を取り除き、フットワークも軽く私たちの横を通り抜け、医院の入り口のドアまで開けてくれました。

「ありがとうございます!」と息子と声を揃えて言うと、

「何てこたー、ないさ」と、お爺ちゃんは、にっこり。

 

障害を持った子供の親というと、多くの人は「大変でしょうね…」と同情して下さいます。

 

でも、私は、どの親でも大変なのは皆同じだと思っています。

私にとって、「障害のある息子を持つ」という事は彼が診断を受けた時から10年弱、ずっと続く日常であり、極普通の事。もちろん、障害児を持つ親としての特有の心配事はあると思いますが、それも毎日続けば特別ではなくなります。なので、私たち家族は、その他多くの家族と何ら変わりない、いたって普通の家族だと思っています。

 

ただ、一つ違う事があるとすれば、それは、「弱い立場になってみないと分からない他人の優しさや良心のぬくもりを日々実感する事ができる」という事でしょうか。

 

フランスで車椅子を押していると、かなりの頻度で立ち止まらなければいけません。古い道が多くいですから。でも、必ずと言っていいほど、皆さん助けて下さいます。息子には、助けてもらったら、必ず笑顔で元気に「ありがとうございます!」と言うようにと言っています。心を込めて感謝すると、照れ隠しのハニカミ笑顔が返ってきます。二度目のホッコリ。

 

息子、障害児。私、障害児の母。

今日も、私たちは幸せ者です。

通せん坊を楽しむ悪ガキども

思う事 子供 親ゴコロ

子供の頃に経験はないでしょうか?

何だか知らないけれど、突如何人かに行く手を阻まれ、

「○○ちゃん、こっち行っちゃだめ!」、と通せんぼう。

私は、何度かあったと思うが、一番強烈だったのは保育園の時にされた通せん坊。

 

いつも遊んでいる鉄棒があった遊技場の隅っこ。暑い日でも木陰で涼しいのが好きだった。ある日、普段通りに、そっちへ歩いていくと突然バラバラと3,4人の女の子が私の前に現れ…

「○○ちゃん、こっち行っちゃだめ!」

 

年長さんだったかな。とすると、6才。ただ、その6年間、私は大家族の中、もまれて生きてきたので、すでに通常の6才児と比べると現実の大変さを多少は心得ていたんだと思う。「泣いて引き下がる」という選択肢は最初からなし。

「え、何で?いつもここで遊んでるんだけど。」

「え?えっと…でも、…あっ、せ、先生がダメって言ってたよ」

子供心に『先生がそんな事ゆうかっ!』と思い、変に焦ってる子達を横目に知らん顔で直進。

「○○ちゃん、ダメって言ってるでしょ。ダメだよ~!」

で、いつも木陰を作ってくれている鉄棒の横の木の下まで来た時、ふと上を見上げると、何やら木の枝にぶら下がっている。

よく見ると私の傘。

さっきの「大家族」でご察しの方もあるかと思いますが、私には兄弟姉妹がやたら多いんです。でも姉は私の7才上で、彼女からのお下がりは全て年季が入ってました。その傘も色あせて、可愛いとは言い難い代物でした。

犯人はもちろんそこに並んでる子達。

私はその子らを無言で睨みつけると、木に登り、傘を手に取ったものの、傘を持ったまま木を降りる事はできません。だからと言って、私の傘を隠した子らに手伝ってとも言えず、仕方がないので傘を落としました。

すると、年を経て脆くなっていたプラスチックの持ち手が、地面に落ちた時のショックに耐えられず無残にも根元からポキッと折れてしまいました。

木の下で並んでた子達は一瞬息を飲むと、せーのっ!でその場から逃げ去りました。

木から降りて涙が零れそうになるのを我慢して、壊れた傘を手に取りました。

家は決して裕福ではなく、子供心にそれを感じていたのか、お店に行ってもおねだりした覚えもありません。壊れてしまった傘は、必需品。お母さんに何て言おう…と考えて途方に暮れました。

 

記憶はここまで。今でも鮮明に覚えてます。でもその後、壊れた傘について親に何を言ったのか、新しい傘を買ってもらったのか、どうなのか、まったく覚えていません。朧ながらに兄のお古の紺色か何か地味な色の傘をしばらく使っていたような…。

 

で、本題は、あの子達の気持ちです。

もちろん、明確な原因があったのかもしれない。私が仕返しされなきゃいけないような言動を取ったのかもしれない。であれば、ある程度理解できる。やられたら、やり返すと言うのは、それが良いか悪いかは別にして、いつの世にもある自然な心情だから。

でも、人間、特に子供の頃って、純真さや天真爛漫さと一緒に残酷さや残忍さが心に共存していて、時にこれと言って理由がなくても、その側面が表面にでてくる事がある。「ちょっと邪魔してやろう。」とか「ちょっと意地悪してやろう。」とか「ちょっと痛い事してやろう。」とか。

私にも、蟻の行列にわざと石を置いて、蟻の行列が乱れて、その後時間をかけて、また道筋ができるのを見て、喜んでいた覚えがある。蟻にしてみればいい迷惑。

子供の発達過程で、時にイジワルになってしまう事は極普通なのかもしれない。でも、意地悪をした後、悪い事したな~、あの子傷つけちゃったな~、とちゃんと反省する機会を逃すと、いじめっ子への道を突き進む可能性だって、大人になっても時々顔をもたげるイジワルな性格を抑えられなくなる可能性だってある。

なので、やっぱり、大人は、子供が誰かに意地悪しまった時、その都度ちゃんと真剣に注意し、叱ってあげないといけない、と思う。

 

そして、最近、一生懸命頑張って働く一人の女性が、批判と糾弾の的となり、彼女以外の大多数の人間がグルになって、彼女の行く手を通せん坊するのを目の当たりにした。

私自身は、なぜそういう状況に彼女が陥ったのか、そのいきさつは知らなかったが、一生懸命身を粉にして働く姿と、傷ついている彼女の姿だけが見えた。誤解されて努力も評価されずに爪はじきにされたという感じだった。

そして、私は彼女を敵対視している人の口から、「踊らされないで!」と言われた。「踊らされる?」どう考えても、「感情的になって浮足立ってるのはあなたの方では?」と言い返したいほどの激昂振り。

 

通せん坊。相手が俯いて引き下がるのを見て、何だか強くなったように勘違いする。自分のした事が正義だったと勘違いする。

 

やっぱり、大人は、子供のイタズラやイジワルな言動をキチンと正していきましょう。それが、弱虫のする愚かで卑怯な事だと、教えてあげましょう。

そうすれば、10年後、20年後、社会がもう少し住みよくなるかもしれません。

半引きこもり生活、脱出記念(2)

活動

イチロー選手が野球大会に出場した子供達に贈った言葉。

「自分の中の限界+ちょっとだけ頑張る」

これを続ける事で思いもよらない自分になれる。

number.bunshun.jp

そして、隠居系男子さんのブログの中では

「努力をする」ではなく「努力してる風に見えるけど、本人はただ楽しいから没頭してやってる」、というのが今の時代に求められているセンスを生み出す鍵だとか。

 

inkyodanshi21.com

私は、フランスという異国の地で、焦燥感に押されて、ようやく活動を始めたわけですが、

下手くそなフランス語と少ないコネで、全てが順風満帆で進むわけがない事は、よ~くわかっています。アメリカでも、英語がある程度不自由なく使えたにも関わらず、何事も始める時は大変でしたから。

…と考えると、何かをしようとする時に「言語能力」を理由に「できない」とするのは間違いなのかもしれません。だって、私が日本にいたとして、これまで3年間、半引きこもり状態だったとします。その状態を脱出して、いきなり少人数の前とは言え、公の場に立つ、というのは簡単な事ではないと思います。

という事は、「フランス語が上手くない」という事実は、単に「乗り越えるべきハードルをほんのちょっと高くする」という事に他なりません。もちろん、ほんの数センチの高さが、足をひっかけて転んで、顔面傷だらけ、という惨事につながるかもしれません。でも、ハードルは何も全速力で走って飛び越える必要は全くありません。気を付けて跨いだっていいわけだし、股下の長さとハードルの高さを比べて、どう考えても跨げないと思えば、高底のブーツを履いてもいいわけだし、ハードルが壁位の高さがあるんだったら梯子を使えばいいわけです。そう考えれば数センチ高さが変わっても大した差ではない。

なので、行きつくところは、実は、障害=ハードル、ではなく、障害=越える価値のあるハードル、という事です。

大変な思いをして、そのハードルを越える事自体、楽しいのか、面白いのか、ワクワクするのか、ドキドキするのか、スリリングなのか、生きがいを感じられるのか。そこだ、という事です。

 

さあ、では現実問題に戻ります。4回シリーズでいくと決めた、第一弾のテーマは、指定されたお題の「折り紙」でした。

 

たった1時間半の日本文化講習会の準備と実施に、どれだけの時間とお金と労力がかかる事か!!そしてこの頼りない講師のサポート役の方々にどれだけお世話になってしまった事か!!!

 

でも、やってみた感想は…

「わ~。やって良かった~。皆さん来てくれてありがとう~!!(ウルウル、(´Д⊂グスン)」でした。

 

当日は、「この講習会のために買ったプロジェクターの費用分だけでも取り戻さないと。」などという現実的な考えは頭からすっ飛び、感極まって、参加費はいりませんと言ってしまったほど。

 

何十時間もかけて準備をしたプレゼンが、多くの人のサポートがあって実現したプレゼンが、誰かのひと時の楽しみにつながり、誰かの日本文化への興味をふくらませ、美しい日本の良さを少しでも参加者の方々と共有できた事の喜びが、とにかく溢れんばかりに心を満たしてくれました。

そして、この何十時間の準備過程で学んだ事の多かったこと!たかが折り紙、されど折り紙。今回は和紙の事も勉強して、紹介させてもらいましたが、こちらも知れば知るほど素晴らしい。日本の事をよりよく知る機会にもなりました!

 

ちなみに、この日、前日予約は何と1名!(いったいどうなる事かと、ドキドキ…)そして当日、予約無しで来てくださった方は3名、そしてサポートの面々2名の計6名。予想の6倍の動員数でした!

自己満足度はフルの100%でしたが、参加して下さった皆さんの感想もやはり気になる所。でも、こちらも幸い良好でした!

 

という訳で、このハードル、私にとっては「乗り越える価値ある障害」にめでたく認定されました!

第二弾は「歴史が育んだ建築美」。こちらも大変そう(ウフフ)

なぜか魅かれる…坐禅?

日本 活動

今年に入って初めて体験した事。それは坐禅。

なぜ坐禅を試す事になったかというと…

禅に興味を持ったから。

じゃぁ、なぜに禅?

 

きっと、近頃、新しい事に興味が湧くというと、ネットがきっかけになる事が多いのだと思うが、私も例外ではない。禅僧の書くブログを読んで、禅の物事の捉え方や考え方が、自分の気持ちにしっくりと馴染んだから。でも、読み続けて分かった事は、禅の神髄にある精神は「禅」に限られる特異な考え方なのではなく、日本人全般が、「そうだよな。」と頷き、納得して、すんなり受け入れられるものであるという事。

www.zen-essay.com

そして、何となく魅かれる事ができると、自然とそれに触れるチャンスが増える。この不思議な現象、きっとみな一度は経験しているのではないでしょうか。

今回も、ブログで禅僧のエッセイを読みだしてからというもの、色んな事が禅と関わっている事を発見!日本文化講習会の準備をしていると日本の建築を調べていても、茶道の事を調べていても、禅の文字がチラチラと目につきます。

 

そうこうするうちに、「坐禅イニシエーション」というクラスの案内が耳に入りました。それもこのフランスで!運命の導きかも!?と一瞬ドキッとしました。

いやいや、何も禅の道に入るつもりはないんですが、これが、新しい事につながっていくかもしれない。今まで踏み入った事のない世界を覗けば、ワーッと目の前が広がるかもしれませんよね。

 

運命の流れに身を任せて、あらがう事なく、その先を見に行ってみるのも面白いかも。

思いもよらない冒険が待っているかもしれません。

半引きこもり生活、脱出記念 (1)

日本 活動

フランスへ移住して早3年が経とうとしています。

こちらへ来てからというもの、フランス語が全く上達しないという事もあり、仕事と言えばアメリカで13年前に始めたフリーランスの英日実務翻訳を細々と続けるのみ。家事と子育てと庭の草むしりはしていましたが、子供の学校の送り迎えと買い物以外は外出しないという、半引きこもり状態が続いていました。

最初は良かったんです。だってアメリカでは、毎日がとにかく忙しく、朝起きたらすでに疲れているという日が殆だったから。

で、縁あってフランスに移住してからは、翻訳の仕事もまばらになり、自分の好きな事に使える時間が一気に増えました。最初の数か月はパリに住んでいたので、語学学校に通ったり、街中を散歩したり、マイナーな美術館に入ってみたりと物珍しさも手伝ってチョロチョロ動き回っていました。でも、パリは流石に家賃も物価も高く、そう長くは暮らせる場所ではありませんでした。そこで観光客気分に終止符をうち、郊外へと引っ越し。そして今は歩いて行ける距離にはパン屋一つない人里離れた田舎町へ。

子供達の学校が始まり、私はと言えば、空いた時間をネットの動画を見たり、ゲームをしたり…。でもしばらくすると、

「このまま、ここで、こうやって毎日を送って、…気が付くと、お婆ちゃんになっていたら、どうしようっっ…!!」

と焦りだしました。この焦りが、去年の夏以降、だんだん幅を利かせるようになり、

「何かしなっくっちゃ。何ができるだろう。」と悶々と悩む日が多くなりました。

そして、前から気になっていたブログを開設。ただ、何かしたい、というだけで、これと言って、発信したい事があるわけじゃありませんでした。

でも、ブログを始めてからというもの、毎日に張り合いができて、綺麗な景色をみると、「ブログに貼ろう!」と、わざわざ車を止めて、歩く事もしばしば。

何よりも自分の気持ちや考えが、言葉に表す事で、だんだん輪郭のあるハッキリしたものになってきました。まず、分かった事は、自分は日本が大好きな日本人であること。やりたい事は、日本文化や日本語を通して、より多くの人と交流をする事。

そうこうする内に、早くもチャンス到来!

こちらで入っている、小さな日本人会が、市管轄のカルチャーセンター内の小さな教室を無料で使える事に。その教室をどうやって使っていくか、話し合いましょう、というミーティングに参加しました。あれは去年の11月。

私はどちらかというと新参者なので、別に活発に意見を出そうと意気込んで行ったわけではありませんでした。でも、行ってみると参加者は何とたったの7名。で、ミーティングの内容はと言えば「話し合い」などではなく、「割り当て」でした。

「では向こう3カ月の予定立てていきましょう!」

『えっ、7人で、週2の枠を3か月分…???』(←『』内は心中、焦りのつぶやき)

「はい、○○さん、~のクラスできるんですよね。いつがいいですか?」…的な。

で、当然のように順番は巡り、私の所へ。

会長:「で、○▽さん(←私)は、この間、どこかのカフェでお点前披露されたんですよね。じゃ、茶道のクラスと、…」

私:「いや、あのぉ、クラスって…。免状持ってるわけでもないので、教えるのはちょっと…」

会長:「大丈夫、大丈夫。チラッと紹介する程度でいいですから。」

『…って、1時間半もフランス語で…?チラッと…?間が持つわけがないじゃん』

会長:「じゃ、何日がいいですか?」

私:『えっ。もう決まりなわけ…』

「あ、あの…。じゃ、茶道のクラスとかじゃなくて、日本文化の紹介みたいなのは、どうですか。」(←ブログで書いていた影響)

会長:「そう。でも、日本文化っていっても色々あるわよね。どんな事を考えてらっしゃるの?」

私:「そうですね。茶道も含めて日本の伝統文化とか、あと、ユネスコ世界遺産に指定されてる、日本の名所巡りとか…?ちょっと日本語のレッスンも絡められると面白いかもしれませんね。」(←つい、調子に乗ってしまった私。)

会長:「それは、おもしろそうですね。じゃ、○▽さん、テーマ別に4回位入ってもらいましょうか?

私:「4回…!?」

というかなり強引な流れで、講習会を開く事に。そして初回のテーマも「折り紙」とのご指定を受けました…。

さぁ、どうなるか。何はともあれ、始動です。

この先には何が待っているのでしょう。

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チュクチのおじちゃん、狩りを教える。

異文化の風

ロシア人には小さな笑い話が欠かせません。ソ連時代の厳しい生活、長く寒い冬、日々の暮らしに笑える種があまりなかったからか、語り継がれる笑い話というのがあるようです。

これさえあれば、笑って一日を終えられる。繰り返し聞いても、罪がなく、悪気もなく、ただ真実をついているから、色あせる事なく、おかしい。

今日は、そんな笑い話の一つをお裾分けします。

意味もなくため息が出てしまう日。ささやかな笑いと一緒に、ポッと明日への活力が生まれればいいな、という思いを込めて。

―――――

チュクチ(*下記参照)のおじちゃん、初めてモスクワの街にやってきました。

都会暮らしの甥っ子がよんでくれたんです。ちっちゃい頃はよく一緒に遊んでやった甥っ子です。長旅のあと、モスクワの駅に降り立ったおじちゃん、お土産も多いし、甥っ子がタクシーで来るようにと、予めお金も送ってくれていたので、早速タクシー乗り場へ。

「すんません。あのー、この住所までお願いしたいがですが…」

タクシーの運転手さんは、おじちゃんの姿を見てすぐ『はぁ~ん、お上りさんだな。ちょっと遠回りして、今日はウォッカを買って早めに帰るとするか』と、ニコニコ親切顔でメモを手に取ると

「あー、ここはそう遠くないですよ。近道も知ってますし、そうですねー、20分もあれば着きますよ。」

「近道で20分ねぇ。甥っ子の話やと、10分そこそこっや言うとったけど…?」

「いえいえ。今の時間帯、普通の道は混むんですよ。早朝だったら普通の道で10分。でも、今だと30分はかかるね。だから近道するんですよ。距離的にはちょっと長くなるけど、渋滞にはひっかからないから…、10分節約ってわけです!どうですか?」

「そうけ。流石プロやね。んなら、お任せしますちゃ。」

おじちゃん、沢山のお土産を積み込み、自分も車に乗り込みました。

運ちゃん、ウォッカの事を考えながら、意気揚々と脇道へ入り、リンゴの並木道の下を通りかかると

「この並木道の向こうは森でね。時々鹿がでるんですよ~。」

などと軽口をたたきながらスピードを落とし時間稼ぎ。

「ほー、鹿け。鹿の肉ちゃ、うまいわいね。おわのとっておきの味付け教えてあげっちゃ…」

すると、並木道の陰から、突然杖をついておばあちゃんが車道へでてきました。

「あー、出た~!」と叫んで、運ちゃん、おばあちゃんにぶつからないようにハンドルを右に左にときりました。『あー、びっくりした』とホッと一息ついた時、

バン!

「えっ!?確かに避けたと思ったけど… ぶつかりましたか?」

顔面蒼白にして運転手がおじちゃんに聞きました。

「ふっ。ロシア人ちゃ狩り下手やね。おわがドアを開けなんだら、逃がしとったわ。」

「え˝~~~~っっ!!!!」

ーーーーーーーー

チュクチ族

jp.rbth.com

 注:チュクチのおじちゃんのセリフには、私のお国言葉である方言を使ってます。さぁて、どこの方言でしょう?